「恋って、認めて。先生」

 それから、最後の生徒の三者面談も無事に終わり、私は職員室に戻った。

 書類整理や明日の授業の準備をしているとすっかり日も落ち、職員室に残るのは私と校長先生だけになる。

「大城先生。僕はもう帰りますから、最後の施錠、お願いしますね」
「分かりました。お疲れ様でした」

 貫禄のある背中で立ち去る校長先生を見送ると、私も伸びをしながら自分の席を立った。


 比奈守君にも、夢とかあったのかな?


 三者面談での比奈守君の様子を思い出しつつ、職員用玄関を出た。校舎脇に並ぶ桜の木はすっかり緑色に染まり、夏の訪れを予感させる。とはいえ、この時間の風は冷えた。

 真っ暗な空に見下ろされ鳥肌が立った腕をさすっていると、人影に気付く。

 あれはウチの学校の生徒?その人は校門に続く外壁にもたれて立っていた。暗がりでよく見えないけど、外灯の光で部分的に見えるその姿はたしかに比奈守君だった。

「比奈守君……!さっきお母さんと一緒に帰ったんじゃなかったの?」

 慌てて駆け寄ると、比奈守君は私から目をそらした。

「あの後母さんは仕事で店に戻りました。俺も、今日は塾とかないんで……」
「でも、どうして?春とはいえ、こんな時間に待つなんて寒くなかった?」

 比奈守君の唇はわずかに乾いている。寒かったに違いない。

 心配して彼の顔を覗き込むと、比奈守君はそっと私の手をにぎってきた。

「……比奈守君!?」

 その手は予想に反しとてもあたたかく、私は顔が熱くなるのを止められなかった。手をつなぐ。それだけなのに、比奈守君の体温が私の体に染み込んでくるかのようだった。

「比奈守君、離して?」

 本当は離してほしくないのに、立場を気にしてそんなことを言ってしまう。比奈守君は私の言葉をわざと無視したかのようにイタズラな笑みを見せた。

「本当に離してもいいんですか?」
「えっ……」
「だって、先生の手、こんなに冷えてる」

 比奈守君のかすれた声に、私はまたドキッとしてしまう。勘違いじゃない。私の手をにぎる力をわずかに強め、比奈守君はつぶやいた。

「あの日と同じですね。ビックリするくらい冷たい」
「あの日……?」
「新学期始まってすぐの頃、放課後に缶コーヒーくれじゃないですか。その時も、先生の指先、すごく冷たかった」

 比奈守君とやたら視線が合って気になったあの日。ーー思い出した。比奈守君にイチゴオレをもらったお返しにブラックコーヒーをあげたんだ。油断して彼の手に触れてしまったせいで、比奈守君は缶を落としてしまった。

 先月のことなのに、ずいぶん前の出来事のように感じる。

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