記憶堂書店


記憶の世界へやってきた、現在の夏代はリビングに突っ立ったままだった。
静かに俯いている。

「大丈夫ですか?」

龍臣はそっと声をかけた。
それに夏代は黙って頷く。
龍臣からは背中しか見えないが、俯いたまま涙を拭っているように見えた。

「私はこの時、娘に会いに行くことを止めたの。興信所の報告が本当だったなら、娘のため修也のために会ってはいけないと思ったから。でもね、龍臣君。本当にそれで良かったのかしら? 私がしたことは正しかったのかしら?」
「それは僕にもわかりません。ただ、夏代さんがそう思っていなかったから、こうして後悔していたから記憶の本は現れたのではないでしょうか?」
「そうよね。きっとそうなのよね……」

夏代はため息をついて、畳張りの床に座った。

「花江の報告を聞いて、夫と一度その暴力団の屋敷近くまで車で行ったことがあるの。前を通り過ぎただけだけど。電話を受けてから半年後のことよ。でもね、その屋敷は更地になっていたの」
「え?」
「どうやら他の暴力団に潰されたらしいわ。それから花江の行方は未だにわかっていないの。だからね、もしかしたらあの時、花江は最後の別れを告げに来たのかしらって……。そう思ったらどうして一目でも会いに行かなかったのだろうって……」

夏代は顔を覆って泣き出した。
龍臣は何も言えず、ただ見守るしかできない。
当たり前だが、みな「あの時こうしていれば」という思いで記憶の世界へやってくる。
ただの案内人の龍臣には毎回かける言葉もない。
時々、相手の辛い思いに引きずられそうになってしまう。まして、これは修也の問題でもある。
龍臣は何もできない自分の唇を噛むしかできなかった。

「どうしてこんなことになったのかしらね……」

夏代は自虐的な笑みを浮かべる。
何度も自問自答してきたのだろう。どこか諦めの表情にも見える。

「どうしますか? もう一つの選択肢を見ないという手もあります」
「もう一つの選択肢? それは私が追いかけて行った選択肢かしら?」
「はい。もし見るのが辛いようなら、ここで引き返すことも可能です」
「見るわ」

夏代は即答した。

「記憶の世界でも何でもいい! あの子に、娘に会わせて!」

夏代は龍臣の腕を掴んで縋りつくようにそう言った。

「わかりました」

龍臣は深く頷いた。








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