記憶堂書店


――――

目をかけると、そこは玄関前の廊下だった。
夏代は修也の手にしているカーネーションのしおりを見て、玄関まで飛び出してくる。
後ろから修也が「おばあちゃん!?」と驚いたように声をかけた。
元の世界では、そこで夏代の足が止まり、飛び出していくのを止めていた。
しかし、ここはもう一つの選択肢の世界だ。

「おばあちゃん? どこ行くの?」

修也が驚いたような戸惑った声で聞く。
その声に一瞬躊躇する様子を見せた夏代だが、何かを決心したような表情で修也に向き合った。

「修也、おばあちゃんはちょっと出てくるわ。一緒に行く?」
「どこに?」

修也は不安げに聞いた。また置いて行かれるのではないか、ここを離れなくてはいけないんじゃないかという気持ちになったのか、みるみる涙目になる。

「あぁ、違うのよ。ごめんね。それをくれた女の人の所へ行きたいの。お礼を言わなきゃね」
「お礼なら言ったよ?」
「そうね。でもおばあちゃんは言えてないわ」

そう言って、修也の手を引いて家を出ていく。
修也がしおりをくれた女性と会ったのは歩いてすぐのタバコ屋だ。家の角を曲がると見えてくる。
夏代は駈け出したい気持ちを抑え、角を曲がった。
すると、そこには――……。

「花江……?」

丁度、タクシーに乗り込もうとしている黒いコートを着た髪の長い女性の後姿が見えた。

「花江! 花江!」

走り去るタクシーを懸命に追いかける。何度も呼ぶが、夏代はつまずいてしまった。
角を曲がるタクシーを見つめるしかできない。

「花江……」

そのまま地面に突っ伏して泣き出す。
その背中を遠くから幼い修也は不安げに見ていた。祖母のあんな姿を初めて見たのだろう。
立ち尽くしていた。

夏代が嗚咽を漏らしながら泣いていると、白いパンプスが見えた。
ゆっくりと顔を上げると、ひとりの女性が泣きながら立っている。
西日で逆光になり顔が良く見えなかったが、夏代にはそれが花江だとすぐにわかった。

「花江……?」
「お母さん……」

花江と呼ばれた女性はしゃがみこんで、消えそうな声でそう呟いた。

「花江!」

夏代はかきむしるように花江を抱きしめた。






< 110 / 143 >

この作品をシェア

pagetop