記憶堂書店

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「以上が、あなたが選ばなかったもう一つの選択肢の世界です」

龍臣はそう告げるが、泣き崩れる夏代には届いているかはわからなかった。
現代の夏代は、ただこの光景を見つめるしかできない。そして、選ばなかったことをただ後悔しているのだ。
なんども地面に拳を当て、娘の名前を呼ぶしか出来ない。

もうひとつの世界を見ることで、夏代は今よりもさらに強い後悔と苦しみを感じている。
しかしそれと同時に、一目でも娘の姿が見れたことに喜びを感じているのだ。

ひとしきり泣いた後、夏代はふらりと立ち上がった。
そして、泣きはらした真っ赤な顔で龍臣を見あげてくる。どこか、魂の抜けたような表情だ。

「ねぇ、龍臣君。私はここで見たことを忘れてしまうのかしら……?」
「おそらくは……」
「どうにかして、覚えていることは出来ないかしら? 夫にも花江のことを話してあげたいの」

夏代の気持ちはよく分かった。しかし、そればかりは龍臣にはわからない。
現代に戻っても覚えているかなんて龍臣には決めることが出来ないのだ。

「現代に戻っても覚えているか否かは僕にはわからないんです。だから何のお約束も出来ません」

そう言葉にすると、本当に自分はただの案内人であり何の力もないのだと感じてしまう。
申し訳なさそうに肩をすくめる龍臣に、「そう……」と夏代は呟いた。

「あなたは忘れてしまうの?」
「いえ……、僕は案内人ですから忘れることはないんです」

そう伝えると少しだけ夏代の顔に表情が戻った。

「じゃぁ、一つだけ約束してほしいの」
「何ですか?」
「現代に戻って、私がここでのことを忘れていたら、私と夫にここでの記憶を話してくれないかしら」
「しかし……」

そんなことしたら、夏代は再び辛い気持ちになってしまうのではないか?
そもそも龍臣が話したところで、源助さんはともかく夏代に信じてもらえるのだろうか?

「いいでしょう? あなたは案内人だと言うけれど、その記憶の本の持ち主である私が教えてほしいと言っているんだからお願いできるわよね?」

そう言われると、龍臣も嫌だとは言いにくい。だってこの記憶は夏代のものだから。
しかし、夏代が忘れてしまうことを龍臣が話すことで聞かせていいのだろうか?
こうした事例はなかったから正直判断が付かなかった。
しかし、夏代も譲らなかった。
ついに龍臣は根負けする。

「では一つだけ、僕からお願いがあります。その時に修也も同席させてください。そして、花江さんの話を聞かせてあげてほしいんです」
「え……」

龍臣のお願いに、今度は夏代が戸惑う。

「それは……」
「もちろん、この約束もあなたは忘れてしまうかもしれない。でも、僕が覚えています。この交換条件に乗れないのなら、お約束はできません」

そうはっきり伝えると、夏代はしばらく考える様子を見せ、頷いた。

「わかったわ。お願いします」

その決心した表情は、どこか花江に似ていた。


























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