記憶堂書店




「大丈夫ですか」

龍臣に声をかけられ、鏑木はハッと目を覚ます。
周りを見渡すと、そこは先ほど来た記憶堂の店内だった。記憶の中に入る前に座ったソファーに変わらず座ったまま。
しかし。
鏑木は自分の両手を見つめる。
ひとつ違うことは、記憶の本が手元にないことだった。先ほどまで大切に持っていた記憶の本がなくなっている。
側にいる龍臣を振り返ると、申し訳なさそうに微笑んだ。

「本は戻ると消えてしまうのです」
「なるほど……。そうでしたか」

あんなに不思議なことが起こるのだから、そういうこともあるのだろう。納得してソファーから立ち上がる。
時計を見るとまだここへきて30分ほどしかたっていなかった。どうやら記憶の中に入ってもあまり時間は立たないようだ。
ソファーから立ち上がり、店の入口へと向かう。

「店主さん、お世話掛けました。ありがとう」
「いいえ。鏑木さん、あの……」

龍臣は店の入り口で、切なそうに鏑木を見つめる。気遣うような目線に、鏑木は思わず嬉しくなり微笑んだ。
こんな他人を気遣う店主は、これからもいろんな人の記憶を扱えるのだろうかと心配になりながら。そんな心優しい青年を励ますように腕を軽くたたく。

「そんな顔をしないでください。私はなにも後悔していません。むしろすっきりした気持ちで妻に会えそうです」
「それなら良いのですが」

龍臣が微笑むと、それに力強く頷き返す。
後悔はしていない。龍臣に言ったことは嘘ではなかったのだ。

「それでは店主さん。また」

そういって鏑木はちょこんと帽子を上げて挨拶し、帰って行った。








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