記憶堂書店
加賀先生は呟くように言った。
「花江が……、修也君の両親が蒸発したのはこれから1か月後のことらしいんです」
「1か月後……」
龍臣はなんとなく花江が歩いていった通りを振り返って眺めた。もちろん、姿はない。しかし、俯いて歩いていたあの姿が目に焼き付いていた。
「あなたも見たでしょう? 花江のあの表情。何か言いたげな、話をしたげな顔、今思えば助けを求めるようなあの表情……。もしもあの時、私が話を聞いていたら花江は修也君を置いていなくなったりしなかったかもしれない。花江の失踪を聞いてから、ずっとそう思っていたんです」
「しかし、加賀先生は急いでいたんですよね? 花江さんからは明確なSOSは出ていなかった。たまたま会っただけだし、それは仕方ないのでは?」
加賀先生には予定があったようだ。急いでいた。不可抗力ではないのか。
しかし、加賀先生は強く首を横に振った。
「確かに急いではいました。学校の同僚達と飲み会だったんです。あの頃、司書として今の学校に就職したてで、断ることなんてできませんでしたから。遅れることも出来ないと思っていた。でも、今となっては少しくらい遅れたってなんとでも言い訳できたのにって思うんです」
先輩や上司が待っている飲み会や集まりに遅れることは出来ないと慌てていたが、よく考えれば言い訳などなんとでも出来たのだ。少しくらい遅れても良かったのだと今となって思うのだろう。
しかし、それは今の年齢で思うことであり、当時の社会人なりたての頃は遅刻は絶対に出来ないと思っていた頃だ。
加賀先生もそこのところはわかっているのだろう。しかし、やはり後悔は消えない。
「花江の様子がいつもと違うとは思ったんです。でも私は自分の予定を優先してそれを無視したんです」
加賀先生は声を震わせながら鼻を啜った。
「しかし、それは結果論です。加賀先生が気に病むことではない」
「わかってます。でも私はあの日の自分を許せないでいる……」
加賀先生は涙を拭って大きく息を吐いた。
「……修也君、学生時代の花江の話をすると、どこか寂しげに笑うんですよ。顔も思い出せない母親に寂しさを感じている……。もしあの時私が少しでも話を聞いていたら、こんなことにはならなかったかも知れない。あんな顔をさせなくて良かったのかもと思ってしまうんです」
加賀先生は自分を責めていた。
少しでも話を聞いていたら、違う未来が待っていたのかもしれないと思うのだろう。