【完】山崎さんちのすすむくん
想いの片鱗
元治元年 十月五日
曇り
今日付けで、池田屋での討ち入りの際に使っていた偽名である篠塚峰三と言う名を紙面上離隊とする。
そして我らが前身、壬生浪士組筆頭局長芹沢鴨、副長助勤平山五郎の墓が漸く壬生寺に建った。
これが、元同胞への最後の手向けになる。
彼等はそのあまりの暴虐ぶりに町の人々からも、後ろ楯である会津藩からも、そして近藤局長以下近藤派と言われる同じ浪士組の仲間からも、疎まれる存在となり『何者か』によって殺されることとなってしまったが。
彼らがあったからこそ今の俺達があるのだとも思う。
その遣り方は兎も角も、彼らが浪士組を大きくしようとしていたことは紛れもない事実だと此処に書き記しておこう。
ただ、今も唯一悔やまれるのはあの湿った晩、共にあの場に居合わせてしまったお梅殿のこと。
始めは太物問屋(呉服商)菱屋太兵衛の妾と噂されていた彼女も実はただの縁者だとわかり。俺から見ても睦まじい二人であった。
芹沢殿と最後まで共にと願ったらしい彼女の気持ちは痛い程よくわかる。
だがそれでも、生きて欲しかったと願うのは、俺の身勝手な想いなのだろうか。
そして、そんな彼女を芹沢殿と同じ墓に弔ってやることが出来なかったことが残念で仕方がない。
祝言もあげられなかった彼等だが、後生では二人穏やかに過ごすことが出来るようにと願っている。