情熱のメロディ
 どれくらいの時間が経っただろう。長い気もするし、短い気もする。暗闇とひどくなっていく手首の痛みでよくわからない。

 「ごめんね……」

 ぼんやりとしてくる意識に対抗するように、アリアは抱えたバイオリンを擦り、小さく呟いた。ずっと一緒に演奏を奏でてきたバイオリン――アリアを閉じ込めたことよりも、同じ音楽家が楽器を乱暴に扱ったことがとても悲しい。

 けれど、今はアリアが自分の意思に反してカイの期待を裏切ることが、一番アリアの心を痛めた。
 指先で弦を弾いて行くと、ポンと軽快な音が鳴る。ピッチはずれているが、弦は切れていない。アリアは手首が痛いのにも構わず、そのまま続けて弦を弾いた。

 アリアの恋心を乗せて、届いてはいけないメロディが響く。

 今は……誰もいない。

 誰も、アリアの心を知らない。それでいい。最初からそう決めていたのだから。
納得して、それでも滲み出る苦しさは確かにアリアのものだった。ミュラーもこんな気持ちだったのだろうか。

 軋む音、軽快なピッツィカートとは対照的な物悲しいメロディは、それでもアリアの心を軽くした。

 ――『君の長所は素直なところ。正直なところだ』

 ハンスが言ったように、アリアは何も考えずただ本能のままに演奏をしていた。作曲家の想いをできる限り乗せて、アリアの音は響いていく。
< 55 / 105 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop