石林(シーリン)三国志
白帝城1
関羽が死んで2ヵ月後曹操は病死する。
翌年曹丕が跡目をついで魏を建国する。
その翌年劉備は蜀を建国する。
いよいよ関羽の復讐戦。
その矢先張飛は部下に暗殺されてしまう。
孔明趙雲の説得虚しく、
劉備は10万の大軍で江陵めざして進軍を開始した。
この時趙雲は後方支援、孔明は劉備の息子
劉禅を補佐して成都にあった。
孫権はまさか?と思った。二人が争えば
魏を利するだけだとは自明の理。
彼には義兄弟の契りとはどんなものか理解できない。
孫権憎しと劉備は夷陵へと進軍する。
孫権はおおあわて、なりふりかまわず魏と講和して
全兵力で守備を固める。
最高司令官は陸遜。ここに両軍は対峙して持久戦に入る。
遠征軍には不利である。しかも大軍同士である。
陸遜はのらりくらりと決戦を避け、腰抜け!という
蜀軍の挑発にも乗らない。
味方からも弱腰とののしられながらも軟弱な態度をとり続け、
半年後、敵が油断したところを奇襲した。関羽の時と同じ策略だ。
陸遜は山中を迂回して焼き討ちの奇襲に出た。
蜀軍は浮き足立ち陸遜は総攻撃を開始して劉備軍は壊滅。
劉備は三峡の白帝城に撤退した。
翌年曹丕が跡目をついで魏を建国する。
その翌年劉備は蜀を建国する。
いよいよ関羽の復讐戦。
その矢先張飛は部下に暗殺されてしまう。
孔明趙雲の説得虚しく、
劉備は10万の大軍で江陵めざして進軍を開始した。
この時趙雲は後方支援、孔明は劉備の息子
劉禅を補佐して成都にあった。
孫権はまさか?と思った。二人が争えば
魏を利するだけだとは自明の理。
彼には義兄弟の契りとはどんなものか理解できない。
孫権憎しと劉備は夷陵へと進軍する。
孫権はおおあわて、なりふりかまわず魏と講和して
全兵力で守備を固める。
最高司令官は陸遜。ここに両軍は対峙して持久戦に入る。
遠征軍には不利である。しかも大軍同士である。
陸遜はのらりくらりと決戦を避け、腰抜け!という
蜀軍の挑発にも乗らない。
味方からも弱腰とののしられながらも軟弱な態度をとり続け、
半年後、敵が油断したところを奇襲した。関羽の時と同じ策略だ。
陸遜は山中を迂回して焼き討ちの奇襲に出た。
蜀軍は浮き足立ち陸遜は総攻撃を開始して劉備軍は壊滅。
劉備は三峡の白帝城に撤退した。