明日の僕らは
「わかった。暇な方の俺に聞いてみようか?」
「うん、聞いて。今聞いて『リトル間宮』に」
「『リトル本田』じゃないんだから。…はいはい。ちょっと待って」
俺は自分のバッグから、スマホとイヤホンを取り出すと…
彼女の両耳に、イヤホンをつけた。
「なんで?」
「盗み聞き、されそうだから」
「しょうもな・・・」
不満気な様子だけれど、なんだかんだ、大人しく従ってしまうのも…本当に「らしかった」。
サブスクのプレイリストをタップして。音量を…下げて。
彼女の様子をうかがう。
「あ。いいねコレ。去年のワールドカップのやつ」
目を閉じて、簡易テーブルを指で弾きながら…リズムをとって。
穏やかな笑顔を浮かべる。
しばらくの間、静かに。そして時折、鼻唄を歌いながら…聴き入って。
ふと、目を開けて…こっちを見た。
「リトル間宮くん、なんて言ってた?」
声が大きくなっていた。
「【居るよ】」
「え。なんて?聞こえない」
耳からイヤホンを外そうとするその手を抑えて。
伝わるように…
はっきりと。ゆっくりと、もう一度
「い・る・よ」
口をついて出た言葉が…、無責任な言葉だって、いったそばから…後悔の念が押し寄せた。
例え側にいて、何が…出来る?
恋人でもなくて、友達だとも…言い切れなくて、
そんな自分が、彼女に出来ることなんて……
「本当?」
当の田迎るいは、というと…
疑いの眼差しを向けて、にやにやと笑っている。
どっちの俺に聞いているのか。視線がちょっとズレているから、わからない。
試されたのか。
遊ばれたのか。
さっきまでの不安そうな様子さえ、微塵にも感じさせない。
そうだ……るいは、サッカーでもそうだ。
負けず嫌いで、無鉄砲で、それでいて、弱味を見せない…強靭なメンタルを身に纏う。
「……居るよ、ここに。田迎が飽きるまで…毎日」
「…ねえ。聞こえないって。…今度はなんて?」
「ん。さあ」
「ふーん」
彼女の腕をとって、イヤホンを外す。
「よく判らないけど・・・忘れないでね、今の言葉」
忘れる訳…ない。
『そっちがね』って言いそうになって…慌てて言葉を飲みこんだ。
忘れても…いい、
また、教えれば…きっと、大丈夫。
俺は、彼女から貰ったチョコの銀の包み紙を開けると…
そのチョコをひと口、かじって。
それからふた口めはゆっくりと溶かして。
味わって食べた。
「・・・・・・」
想像通りのほろ苦い、ビターな味わい。
「好きだよねえ、間宮くん。チョコレート。ねえ、美味しい?」
「…うん、好きだね。…うん。美味い」
それから…銀紙をきちっと畳んで
「じゃあ、俺からのお返し」と、それを拳の中に隠して…手を差し出した。
「ねえ、ゴミは自分で捨てなよ。病人使うとは…オニだね」
そう言って渋々伸ばした彼女の腕は、俺の手元からは明らかにずれた位置にあって、また小さな違和感を生む。
「そっか。距離感……」
今の、俺らの関係にもよく似た…この、違和感。
遠近、上下、左右。彼女がイマイチ掴めないと言った…距離感。
咄嗟に、有無を言わせず…るいの細っこい手首を掴んで
「はいどーぞ」と、手のひらへとソレを落としてやると
「…も〜っ」
呆れて、手元を確認するかのように、それにチラっと目を向けた。
「……ん?」
焦点が…合わないのか、はたまた、二重に見えるのか。
ボンヤリと…抽象的に形を捉えているのか。
全く想像も出来ない彼女の視界の中に…ライトでキラキラと揺れる、銀紙が映し出された。
「ハハっ、もしかして…これって、サッカーボール?」
「……!」
俺が折ったのは。
決して…意図したそれではなかった。
鶴でも作ってろうか、と。四つ角を真ん中に折った。
でも…そこで、手が止まった。
鶴の折り方など…覚えてなどいなくて、もはやテキトーに、細く折って、折って、それを結んで。余分な所を結び目に入れ込んだ。
ただ、それだけの、何てことないモノだった。
「ああ、そっか。そう見えるのか」
五角形のそれは。
サッカーボールを絵に描こうとしたしたら…必ず出てくる図形だ。
俺らを繋ぐ、唯一の…
「ね。ゴミじゃあ、ない。いい?ソレ、捨てないで」
「……えー?忘れてポイっといきそう」
「捨てない。捨てちゃうと、負ける」
「………」
「ボールは基本、『拾う』もんでしょ」
捨てるボールなんて、ない。
拾って、拾って、繋いで、それが…いずれゴールへと結び付く。
それを意図していたわけではなかったけれど、果たしてこれからどこに向かうかもわからない、見えてもこないゴールかもしれないけれど、
明日の記憶へと繋ぐ…足掛かりになればいい。
「よくわからないけど…、【奇跡の1mm】ってあったね。サッカー馬鹿のミドリらしくてちょっと笑える。今なら叫べるかな?あれあれ、あの名言」
「ここ病室。タイミング、間違ってるから」
彼女はそれをぎゅっと握りしめて。
窓の外、四角い青空を…見上げては、屈託のない笑顔で笑ったのだった。