きみと駆けるアイディールワールド―緑風の章、セーブポイントから―
 突然、アップテンポの音楽が流れ出した。あたしもよく知ってる曲だ。風坂先生がジーンズのポケットに手を突っ込んだ。
「妹から電話だ。話すけど、いいかな?」
「は、はい」
 むしろ、あたしが聞いちゃっていいんですか? 風坂先生はワイヤレスイヤフォンを耳に押し込んだ。
「もしもし? ……うん、今、帰りだよ。一旦家に戻ってから、そっちに行く。え? ああ、わかった。それを持っていけばいいんだね?」
 妹さんと話すときも、声と口調の柔らかさは変わらない。風坂先生はやっぱり裏表がない人だ。妹さんもきっと、この声を聞いて、ほっとするんだろうな。
 通話時間は短かった。風坂先生はイヤフォンを耳から引き抜いて、苦笑いした。
「ごめんね、急に。世話の焼ける妹なんだ。研究所勤めで、なかなか家に帰ってこなくてね」
「そんなにお忙しいんですか?」
「そうだね。純粋に忙しいっていうのもあるけど、現場を離れたくないっていうのがいちばんじゃないかな。研究職とはいえ、患者ありきの仕事だから」
 瞬一もそんなふうになっちゃいそうだな。体、壊さなきゃいいけど。
「あの、全然違う質問、していいですか?」
「ん?」
「風坂先生も『PEERS' STORIES』をやるんですね?」
 だって、さっきの着メロ、ピアズのテーマソングだった。
「うん。ぼくはけっこうゲーマーだからね。大学時代にゲームを創作するサークルに入ってたくらいだし。この話は、前にもしたかな」
「はい。あたしもピアズのアカウント持ってるんです」
「やり込んでるほうなんだろ? この曲に気付いてくれたのは笑音さんが初めてだよ。イントロだけだったのにわかるとは、さすがだ」
「だって、あの曲、好きですもん。曲も歌詞もステキで」
 『PEERS' STORIES』のテーマソング、『リヴオン』は、4年前にリリースされた。オープニング画面からリンクが貼られてるボーナストラック。ユーザになったら、無料で聴けるんだ。
 テーマソングっていっても影が薄い。ゲーム本編で流れるわけじゃないし、リンク自体を知らないユーザも多い。
 アップテンポで明るいメロディに、切なくて繊細な歌詞。曲調は、21世紀初頭風のレトロなロック。
 歌ってるのは「ヨワムシ勇者《バァトル》」っていうバンドだ。ヴォーカルは、1度聴いたら耳に残って離れなくなる、不思議な声をしている。しなやかに伸びる中に、少年っぽく尖った響きも持った声だ。
「笑音さんは、この曲が生まれた由来を知ってる?」
「え? 知りません」
「ヨワムシ勇者《バァトル》っていうバンドは滅多にコラボレーションをしないんだけど、『リヴオン』は例外でね。ピアズの最初の開発者のために、その恋人が作詞に協力したんだ」
「じゃあ、リヴオンってメッセージは……」
 間奏に、女の人がつぶやくセリフが入っている。「リヴオン」は「live on」だ。「生き続けて」という意味だ。
 パパの病気を目の当たりにするあたしは、そのセリフを含めた歌詞に惹き付けられた。
 ピアズの開発者さんもパパと同じなのかな? 普通に生き続けることができない体なのかな?
 風坂先生はハッキリした答えを出さず、優しい笑顔で『リヴオン』の裏話を続けた。
「ヨワムシ勇者《バァトル》は、開発者が特に好きだったバンドなんだ。ぼくも好きだよ。レトロな感じがいいよね。彼ら、素朴な音質を好むから」
 風坂先生の好きなものを、また1つ知った。あたしの好きなものと同じで嬉しかった。パパの影響だけど、あたしもレトロなロックは好きなんだ。
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