深淵の縁から
古書
本校舎の奥の更に奥に、僕の大学ライフの拠点になっている古文書研究室がある。
日の当たらないそこは常に埃っぽく、心なしかカビ臭く感じる。
雑然とした室内に乱雑に置かれた資料の中には、歴史的価値の高いものがたくさんあり、中にはそれを手に入れるためなら幾らでも出すと言う人さえいる様な物まであるのだが、考古学の権威でもあるこの研究室の主、谷中英一郎教授は整頓が苦手なようで、僕が幾度となく整頓を試みているのだが、数日ないし数時間で元に戻ってしまう。
今では
「整頓不要!整頓する暇があるならその時間を新たな発見の時間に費やしたまえ!」
と、整頓されることさえ拒み始めている始末。
そんな教授がこのところ熱心に読んでいる書物がある。
声を掛けられている事にさえ気付かない程に熱中するとはどんな内容物なのだろうか?
気にはなっていたが、こんな時の教授に関わるとろくなことがないので黙って成り行きを傍観しつつ、僕は自分に押し付けられた書物の解読に取り組んでいた。
とある民家の蔵の中から見付かった物で、年代的には江戸後期の物のようだ。
今日までに読み取った内容では、簡単に言うと自分史の様で、子供の頃はガキ大将だった事や、ある時便通が悪くて苦しんだ事や、当主である父親が亡くなった事、お兄さんが家を継いだのだが、数年後に小間使いの娘と駆け落ちしたこと等が書いてあった。
この書物に何の価値のがあるのかは疑問なのだが、これを書いた人物が文才があったことは分かる。
面白い読み物ではあるのだ。
だから早く先を読み進めたいとさえ思ってしまう。
しかしそうそう早くは読み進められず苦戦を強いられている。
文字の癖が驚くほどに強いのだ。
砕いて言うなら字が死ぬほど下手なのだ。
ミミズが這った様な文字が並んでいると思いきや突然筆圧が上がり、文字同士がくっつきあい団子状になっていたり、間違った文字を誤魔化したのか、もはや文字とさえ呼べない羅列が連なっていたり。
そこに輪を架けて虫食いやら風化やらで紙がボロボロと崩れ落ちるので、慎重なまでに丁寧に扱わなければならず、二重苦を味わっている。
「……君!長谷川君!長谷川圭太君!」
書物に夢中になりすぎていたようで、自分の名を呼ばれていることに気が付くまでに時間がかかってしまっていた。
顔を上げて声の方を見ると、谷中教授が興奮気味に顔を紅潮させて立っていた。
手にはあの気になっていた書物。
年代的にはそうそう古くなく、見た感じ100年経っているかいないかという具合で、表装も何もかもが簡素で、表紙に『忌隠』とだけ書いて見えた。
所々に何の染みなのか分からない真っ黒な染みが見える。
「君、僕と一緒に今週末旅行に行かないか?」
突然の事に呆気にとられる僕を尻目に、教授は興奮を押さえきれない様子で話始めた。
日の当たらないそこは常に埃っぽく、心なしかカビ臭く感じる。
雑然とした室内に乱雑に置かれた資料の中には、歴史的価値の高いものがたくさんあり、中にはそれを手に入れるためなら幾らでも出すと言う人さえいる様な物まであるのだが、考古学の権威でもあるこの研究室の主、谷中英一郎教授は整頓が苦手なようで、僕が幾度となく整頓を試みているのだが、数日ないし数時間で元に戻ってしまう。
今では
「整頓不要!整頓する暇があるならその時間を新たな発見の時間に費やしたまえ!」
と、整頓されることさえ拒み始めている始末。
そんな教授がこのところ熱心に読んでいる書物がある。
声を掛けられている事にさえ気付かない程に熱中するとはどんな内容物なのだろうか?
気にはなっていたが、こんな時の教授に関わるとろくなことがないので黙って成り行きを傍観しつつ、僕は自分に押し付けられた書物の解読に取り組んでいた。
とある民家の蔵の中から見付かった物で、年代的には江戸後期の物のようだ。
今日までに読み取った内容では、簡単に言うと自分史の様で、子供の頃はガキ大将だった事や、ある時便通が悪くて苦しんだ事や、当主である父親が亡くなった事、お兄さんが家を継いだのだが、数年後に小間使いの娘と駆け落ちしたこと等が書いてあった。
この書物に何の価値のがあるのかは疑問なのだが、これを書いた人物が文才があったことは分かる。
面白い読み物ではあるのだ。
だから早く先を読み進めたいとさえ思ってしまう。
しかしそうそう早くは読み進められず苦戦を強いられている。
文字の癖が驚くほどに強いのだ。
砕いて言うなら字が死ぬほど下手なのだ。
ミミズが這った様な文字が並んでいると思いきや突然筆圧が上がり、文字同士がくっつきあい団子状になっていたり、間違った文字を誤魔化したのか、もはや文字とさえ呼べない羅列が連なっていたり。
そこに輪を架けて虫食いやら風化やらで紙がボロボロと崩れ落ちるので、慎重なまでに丁寧に扱わなければならず、二重苦を味わっている。
「……君!長谷川君!長谷川圭太君!」
書物に夢中になりすぎていたようで、自分の名を呼ばれていることに気が付くまでに時間がかかってしまっていた。
顔を上げて声の方を見ると、谷中教授が興奮気味に顔を紅潮させて立っていた。
手にはあの気になっていた書物。
年代的にはそうそう古くなく、見た感じ100年経っているかいないかという具合で、表装も何もかもが簡素で、表紙に『忌隠』とだけ書いて見えた。
所々に何の染みなのか分からない真っ黒な染みが見える。
「君、僕と一緒に今週末旅行に行かないか?」
突然の事に呆気にとられる僕を尻目に、教授は興奮を押さえきれない様子で話始めた。
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