ハロー、マイファーストレディ!
食事を続けながら、和やかに会話を続ける。征太郎もいつもの取り繕ったような笑顔や言葉遣いではなく、素顔の彼だ。
むしろ、いつもの素顔よりもリラックスしているようにすら感じる。
テラス席は隣のテーブルとの距離も離れているので、会話までは聞こえないと思うが、念のためなのかボリュームは少し抑え気味だった。

「ああ、透とは境遇が似てたから、何となく一緒に居ることが多かった。初めてランドセルを背負った日から今日まで、腐れ縁が続いてる。」
「境遇が似てた?」
「家庭環境がちょっと複雑だったんだ。詳しいことは俺の口からは言えないが、あいつの家にも色々と問題があって。」
「そうなの。」

日頃の谷崎さんからは全く暗い影のようなものは感じられないが、彼は彼で必要以上に軽く装って、必死に影を隠しているのかもしれないと思う。色々と詮索されたくないのは、私も同じだ。

「そういえば、透に俺が政治家になったら秘書にならないかと誘ったのも、海だったな。」
「学生の頃?」
「そうだ。あいつの高い事務処理能力も、ずる賢さも、完璧な外面も、昔から秘書に向いてると思っていた。進む道が決まっていないなら、俺のところにくればいいと、丸め込んだんだ。」

もう何杯目か分からないワインを口にしながら、征太郎は夕暮れの砂浜に視線を送っていた。
思わず、私も彼の視線を追いかけて、今は誰も居ない砂地の上に、並んで語らう二人の姿を想像する。

彼が昔を懐かしんで見せた柔らかい瞳は、私が知らない若き日の彼のものなのか。
こうして取り留めの無い昔話をしている彼は、本当にあの高柳征太郎と同一人物だとは思えなかった。
だからなのか、休日のこの店には目立つスーツ姿であるにも関わらず、店に入ってからずっと周囲の視線を感じることはなかった。私と同じように、誰もここに高柳征太郎が居るようには見えないのかもしれない。
それくらい、今の征太郎は完全にスイッチがオフになっていて、まるで別人のようだった。もちろん、顔を見れば紛れもなく征太郎本人に違いないのだが、いつも彼が纏っている政治家としてのオーラのようなものが感じられない。

目の前に居る彼が、ごく普通の34歳の一人の男に見える時間。
私はどうしてか、とても満ち足りた気持ちで、その話に耳を傾けていたのだ。
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