ハロー、マイファーストレディ!

「あの、手……離して。ちゃんと歩けるから。」

目を合わさずに、小さく絞るように出した声。
それで、征太郎には全てが伝わったのか、あっさりと私の右手は解放された。温もりが離れていくと同時に、海風が当たった手のひらは急に冷たくなる。
いくら薄暗くなってきたとはいえ、もしかひて頬が赤くなっていることに気づかれるかもしれない。そう思ったら、俯いた顔は上げられなかった。

「確かに誰にも見られていないところで繋ぐ必要はないな。」
「そうよ、そういう契約でしょう?」
「その通りだ。」

彼は呟くように、それでも何かを確認するようにはっきりとそう告げた。
ようやく落ち着きを取り戻した私が顔を上げた、ほんの一瞬。
征太郎の顔が、どういう訳かとても切なげに見える。


迎えにきた谷崎さんの車に乗り込み、自宅へと送ってもらう。その間、征太郎とは、事務的に今後の予定を話しただけだった。そこには、食事中に向けられた柔らかい表情も、打ち解けた雰囲気もまるで無かった。自分が望んだことなのに、何故か言い様のないモヤモヤが心を占領する。

「今日は、お疲れ様でした。夕食もごちそうさま。」
「ああ。」

車を降りる直前に、挨拶をした私に征太郎が素っ気なく相槌を打つ。
運転席の谷崎さんは、何が可笑しいのか、ははっと小さく笑いを漏らした。

「透、笑うな。」
「悪い。後で詳しく話聞いてやるから許せよ。」
「……お前、絶対面白がってるだろう。」
「そんなことない。真依子ちゃん、部屋に入るまでここで待ってるから早く行って。」

全く理解できない二人の会話に首を傾げながら、帰宅を促されたので車から降りる。
車からの視線に見守られながら、アパートの階段を上がり玄関の扉を閉めた。

しんと静まりかえった、いつも通りの自分の部屋なのに、いつもより寂しく感じた。
ふとした瞬間に、手を離した時の急に冷えていく感覚がよみがえる。
同時に、切なく歪んだ征太郎の表情が頭に浮かんで、そのたびにチクリと胸が痛んだ。

それが、どうしてなのか。
考えたくなくて、私は早々にベッドに入って固く目を閉じた。
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