ハロー、マイファーストレディ!

玄関まで走りながら時計を確認する。ここまで、掛かった時間は8分ほど。我ながら、頑張ったとほっと一息ついたところで、忘れ物に気がつきベッドサイドの壁の飾り棚へと戻る。

そこに、両親の形見の動かぬ時計とともに並べられているのは、ほんの一ヶ月半前に征太郎が私に掛けた“手錠”だ。
これがもうすでに、とても重要な忘れ物だと感じるようになっている自分に、思わず苦笑した。
この腕時計は自動巻の機械式時計で、二三日使わないと振動でゼンマイが巻かれないために針が止まるらしい。毎朝の習慣で、腕にはめるときに念のため目覚まし時計で時間がずれていないかをチェックする。
海に沈んでも止まることの無い時計が、動かさなければ簡単に止まってしまうことを知ったのは使い始めてしばらく経ってからだ。

共に時を刻めるのは、どのみち生きている間限定らしい。

玄関へと急いで舞い戻り、数秒迷った末に、ベージュのパンプスに足を通した。走りやすく、今日の服装にも合った3㎝のヒールだ。

もう一度、時間を確認する。
ここまでで、およそ9分半。
自分の中で、カウントダウンが始まる。

突然扉の向こう側が騒がしくなった。

「あっちだ!車が来たぞ!!」
「黒のプリウスだ。秘書の迎えの車か?」

聞こえてくる足音で、マスコミが慌てて移動し始めるのを感じる。

「誰か降りてくるのか?」
「くそっ、ここからじゃよく見えないな。」

ドアのすぐ近くに張っていたと思しき記者達も一瞬気がそがれたようだった。

今だ。
時計の針が約束の10分が経ったことを知らせる。
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