ハロー、マイファーストレディ!
10年前も、そうだった。
騒動が発覚するとすぐに、自宅マンションにはマスコミが押し寄せた。
当然、どこへも出かけられない。
学校にも行けなくなり、やがて窓の一つも開けられなくなった。
父と母が自殺してからは、もっとひどかった。
『悲劇の少女』をカメラに収めようと、容赦なく追い回された。
父と母の葬儀も満足にしてあげられず、私はひっそりと夜逃げ同然で思い出の一杯詰まった部屋を出た。
私が、何か悪いことをしたのか。
悔しくて、悲しくて、祖母に引き取られてからも、夜な夜な泣いていた。
時には、祖母も一緒に泣いた。
時には、唯一持ち出した父と母が写った家族写真を見ながら泣いた。
そして、涙が枯れる頃には、世間はもうすっかりあの騒動のことを忘れていて。
マスコミは姿を消していた。
それでも、私は元の生活にはとても戻れなかった。
世間は忘れても、周りの人たちは忘れない。
学校も転校し、姓も変えた。
一度だけ、こっそり自宅へ戻った。
だけど、枯れたと思っていた涙が再びあふれ出して、とても作業が出来る状態ではなかった。
必要最低限のものだけを持ちだして、父と母の位牌や遺品は全て叔父さんに託した。