茜の忍
暗い夜の闇の中から浮き出るように、漆黒の巨大な鳥がある屋敷の庭に舞い降りた。鳥にしては大きすぎるそれは、おぞましい姿をした人面鳥。
異形の姿に寄り添うように、背後の山から駆け下りてきた大きな黒い狼が人面鳥の隣に座り込んだ。鼻を鳴らしてすり寄ってくる狼を撫でながら、人面鳥は 瞬く間に姿を崩して少年の姿をとる。人外の美貌を持つ少年は長い黒髪を一本に束ね、屋敷の中へ入っていった。
広すぎる畳の部屋をひたすらに進んだ先に、ごく僅か、灯りを灯した部屋がある。音もなく部屋に滑り込んだ少年は、狼を伴って膝をついた。
彼らの前に座した老齢の男は見るからに不機嫌そうにそれを見やる。が、少年の方は一向に構わず、軽く男に頭を下げた。
「ただ今戻りました、主。我等が縄張り内に入った空軍と警官隊は、無事撃退いたし…」
「何故壊滅させなかった」
「・・・恐れながら、主。その必要はないと判断致しました故」
一切の戸惑いもなく答える少年に、男は声にならないうなり声を上げた。顔を上げた少年は、その整った顔を心配そうに曇らせて、そっと男の方に首を傾げる。
「他の者達はどうなさいましたか?お身体の具合が優れないようですが・・・」
「そんなことはない。それより夜、お前に頼みたい仕事がある」
「主、何なりと」
軽い咳をする男を気遣いながらも、少年・・・影野 夜は膝をついたまま頭を垂れた。夜のそばに座る人狼は油断なく黄色い瞳を光らせていたが。警戒心剥き出 しの人狼を一瞥し、男は不穏な光りを暗い双眸に宿す。ゆっくりと浮かべられた笑顔はおぞましいほどに引きつり、歪み、もはや人の表情とは思えなかった。
「俺達の縄張り内に入ってきたのは警官隊共だと言ったな。お前も知っての通り、政府は最近警察の組織に新しい部隊を組み入れたらしい。それが・・・」
「対忍用特殊武装部隊『八部鬼衆』(はちぶきしゅう)」
小さく呟いた夜に、男は一つ頷いた。嘲笑うかのように歪んだ顔で、忌々しげに吐き捨てる。
「日本国を忍より守護する八人の鬼神達と、そいつ等が率いる隊だ。愚かしい人間風情が、我ら『鬼団』を潰そうとしている。こちらには、“本物”の地獄の鬼が
憑いていると言うのになあ」
無機質な灰色の目を細め、男は目の前の夜を睨み付けた。何の反応も示さない夜を見て、ふいに男はうっそりとした笑みを浮かべる。赤すぎる唇が三日月型につり 上がり、真っ黒な深淵が顔をのぞかせる。それが自分を飲み込もうとするのを、夜はただ、他人ごとのように見ていた。 耳朶を打つのは、主と慕いし義父の声 か。それとも。
「『八部鬼衆』が一人、羅刹の首をここへ。真の鬼がどのようなものか、偽物どもに思い知らせてやれ」
「仰せのままに、我が主」
壊れた人形のように機械的に答えて立ち上がった夜に、ついっと男が片手を伸ばした。その手の動きを認めて、人狼が激しく威嚇のうなり声を上げる。男が夜を殴ろ
うとしているように見えたのだ。が、人狼の予想に反して、男は軽く夜の頭を撫でただけだった。
「お前ならできるさ。なんせ、俺の自慢の息子なんだからな」
「・・・必ず、首をここへ」
肩の力を抜いて薄く微笑み、今度こそ夜が身を翻した。無言でその後に続きながら、人狼は一度だけ男を振り返る。そして見たのだ。男が世にもおぞましい 笑顔で夜の座っていた場所から髪の毛をつまみ上げ、三日月型の口で嗤うのを。ゾッと背中に冷たいものが走り、人狼は体中の毛を逆立てながら声もなく悲鳴を上げ た。何年か前、確か夜はこう言ってなかったか。
ーー・・人の髪の毛は、上手く使えば呪殺の道具になる。人狼の毛ももしかしたら・・・
「・・・よ・・・る、夜っ!!」
何年間も一緒に過ごしてきた親友の名前を呼びながら、慌てて人狼は部屋を飛び出す。もう一秒もこの部屋に居たくなかった。夜のことが、心配でならなかった。
ダマサレテイル、ダマサレテイルヨ。
走り去る狼の背を、男は黙って見送っていた。その手には夜の髪と共に、黒い狼の毛も握られていた。
異形の姿に寄り添うように、背後の山から駆け下りてきた大きな黒い狼が人面鳥の隣に座り込んだ。鼻を鳴らしてすり寄ってくる狼を撫でながら、人面鳥は 瞬く間に姿を崩して少年の姿をとる。人外の美貌を持つ少年は長い黒髪を一本に束ね、屋敷の中へ入っていった。
広すぎる畳の部屋をひたすらに進んだ先に、ごく僅か、灯りを灯した部屋がある。音もなく部屋に滑り込んだ少年は、狼を伴って膝をついた。
彼らの前に座した老齢の男は見るからに不機嫌そうにそれを見やる。が、少年の方は一向に構わず、軽く男に頭を下げた。
「ただ今戻りました、主。我等が縄張り内に入った空軍と警官隊は、無事撃退いたし…」
「何故壊滅させなかった」
「・・・恐れながら、主。その必要はないと判断致しました故」
一切の戸惑いもなく答える少年に、男は声にならないうなり声を上げた。顔を上げた少年は、その整った顔を心配そうに曇らせて、そっと男の方に首を傾げる。
「他の者達はどうなさいましたか?お身体の具合が優れないようですが・・・」
「そんなことはない。それより夜、お前に頼みたい仕事がある」
「主、何なりと」
軽い咳をする男を気遣いながらも、少年・・・影野 夜は膝をついたまま頭を垂れた。夜のそばに座る人狼は油断なく黄色い瞳を光らせていたが。警戒心剥き出 しの人狼を一瞥し、男は不穏な光りを暗い双眸に宿す。ゆっくりと浮かべられた笑顔はおぞましいほどに引きつり、歪み、もはや人の表情とは思えなかった。
「俺達の縄張り内に入ってきたのは警官隊共だと言ったな。お前も知っての通り、政府は最近警察の組織に新しい部隊を組み入れたらしい。それが・・・」
「対忍用特殊武装部隊『八部鬼衆』(はちぶきしゅう)」
小さく呟いた夜に、男は一つ頷いた。嘲笑うかのように歪んだ顔で、忌々しげに吐き捨てる。
「日本国を忍より守護する八人の鬼神達と、そいつ等が率いる隊だ。愚かしい人間風情が、我ら『鬼団』を潰そうとしている。こちらには、“本物”の地獄の鬼が
憑いていると言うのになあ」
無機質な灰色の目を細め、男は目の前の夜を睨み付けた。何の反応も示さない夜を見て、ふいに男はうっそりとした笑みを浮かべる。赤すぎる唇が三日月型につり 上がり、真っ黒な深淵が顔をのぞかせる。それが自分を飲み込もうとするのを、夜はただ、他人ごとのように見ていた。 耳朶を打つのは、主と慕いし義父の声 か。それとも。
「『八部鬼衆』が一人、羅刹の首をここへ。真の鬼がどのようなものか、偽物どもに思い知らせてやれ」
「仰せのままに、我が主」
壊れた人形のように機械的に答えて立ち上がった夜に、ついっと男が片手を伸ばした。その手の動きを認めて、人狼が激しく威嚇のうなり声を上げる。男が夜を殴ろ
うとしているように見えたのだ。が、人狼の予想に反して、男は軽く夜の頭を撫でただけだった。
「お前ならできるさ。なんせ、俺の自慢の息子なんだからな」
「・・・必ず、首をここへ」
肩の力を抜いて薄く微笑み、今度こそ夜が身を翻した。無言でその後に続きながら、人狼は一度だけ男を振り返る。そして見たのだ。男が世にもおぞましい 笑顔で夜の座っていた場所から髪の毛をつまみ上げ、三日月型の口で嗤うのを。ゾッと背中に冷たいものが走り、人狼は体中の毛を逆立てながら声もなく悲鳴を上げ た。何年か前、確か夜はこう言ってなかったか。
ーー・・人の髪の毛は、上手く使えば呪殺の道具になる。人狼の毛ももしかしたら・・・
「・・・よ・・・る、夜っ!!」
何年間も一緒に過ごしてきた親友の名前を呼びながら、慌てて人狼は部屋を飛び出す。もう一秒もこの部屋に居たくなかった。夜のことが、心配でならなかった。
ダマサレテイル、ダマサレテイルヨ。
走り去る狼の背を、男は黙って見送っていた。その手には夜の髪と共に、黒い狼の毛も握られていた。