残業しないで帰りなさい!

エレベーターに向かう間、台車を押しながら何度も見上げては床を見たりを繰り返した後、意を決して藤崎課長に話しかけた。

「あのっ!」

「ん?」

「……えっと、行きます」

「飯に?」

「はい」

「あはは、いいよ別に、気い遣わなくて」

「そういうわけでは、ありません」

「……なんか、無理してない?」

「してません」

「そう?じゃあ行こっか」

藤崎課長はふんわり微笑んだ。

でも、無理してないなんて、嘘だった。本当はものすごく無理をしていた。

だって。

男の人と二人きりで食事に行くなんて、初めてだもの。
食事に誘われたことだってなかったもの。

課長、どうして私なんかを誘ったの?さっきの『女の子』扱いの延長?それとも、そんなの全然関係ない?……関係ないよね?そう思わないともっと緊張する。

そうだ!男の人とか考えなければいいんだ!

気にしない、気にしない!この人はただの人。ただの上司。

そういえば藤崎課長、もう見回りはしなくても大丈夫なのかな?

「あの、他のフロアは見に行かなくてもいいんですか?」

「うん、平気。さっき行った時に全員帰ってもらったから。残ってるのは俺たちだけだよ」

「そうですか……」

そうだよね?もう9時だもんね。こんな時間まで一緒に残ってもらって、本当に悪かったな。

それなのに。こんなに遅い時間なのにこれから食事に行こうだなんて。

でも、初めて男の人と二人で食事に行こうとしている割に、思っていたほどの怖さは感じていないかも……。

もっと怖いと思うんじゃないかって想像してたんだけど。
それは自分でもちょっと意外だなあ。
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