嫌いになりたい
スリープをクリック。
そして、静かにパソコンを閉じる。
とうとう語るときが来た。
そう、思い出すだけで恐ろしい、あの地獄の日々を。
「……あの~、もったいぶらないで早く喋ってよ」
「心の準備ってやつが必要なのよ」
「はいはい、わかりました。どうぞ準備なさって下さい。で、なんで悪魔なの?」
たった1秒しか与えられないなんて、悪魔はここにも存在するのか。
投げやりな気持ちを抱えながら、ゆっくりと重い口を開く。
(という表現は実際のところ大袈裟かもしれない)
「……私ね、本当はこの大学落ちてるはずだったの」
窓の外の意味不明な叫び声に負けそうなボリューム。
そのせいか、前のめりに苑実は耳を傾ける。
こんな話、声を大にして言うものじゃないのに。
どうしてこの部屋は防音じゃないんだろう。
「毎度毎度C判定でさ、やる気も失せて来て、浪人かななんて思い始めて。で、その話をついあいつに愚痴ったら、その日から家庭教師に来るようになって」
「柊汰くんが?」
「そ。黒縁メガネかけてノックなしで私の部屋に突入よ。視力1.5のくせにわけわからん」
「いや、突っ込みどころそこじゃないし」
食い気味に苑実が早速話の腰を折ろうとする。
「田戸倉家は茗の許可なしに柊汰くんを部屋に通しちゃうわけ?」
「だって、うちの家族、柊汰のこと大好きだから」
理由なんて単純明快。
これに尽きるしかないから笑えて来る。
「で、その日から鬼の個別指導。私が問題解いてるときは隣で自分も勉強してたけどさ、基本私が中心って感じで。しかも何聞いてもサラッと答えるし、ずーっとA判定でしかも志願者の中で最後までトップだったし」
「うわ~、凄いな、柊汰くん」
「ま、余裕だったんだと思うけど。うちの親、兄貴が塾行かないで大学受かったから私も行かせてもらえなくて。柊汰が『勉強教えに来ました』って言ったらそれはもうウェルカムで私に一切拒否権はなし。確かに、好き好んで浪人なんてさせたくないだろうし、要は都合がよかったんじゃないの」
「でも、普通できないよ、自分も受験生なのにそんなこと」
「そうだよ、受験生なんだから自分の心配だけしてればいいのに。その日から週5でみっちりだよ。私に教えれば自分も復習できるから一石二鳥でしょって、もっともそうな理由つけて」
「ただの親切くんじゃん。何が不満なのさ」
理解できないといったトーンで、苑実は首を傾げる。
ノートを写す手は完全に止まって、このままだとランチ前には100%片付かない。
けれど、そもそも来週の水曜1限までに返してもらえればいいだけの話だ。
「茗?」
「……だってね、あいつ、完全に人のこと見下してたの!『茗ちゃんってばこんなのもわかんないの?バカだね』だよ!?何度聞いたことか!夢にまで出たわ!しかも、天使のような顔してスパルタだし!私痩せたからね!榎並柊汰という名のストレスで!」
今すぐ広辞苑の“ストレス”という欄にあいつの名前を書き足したいくらいだ。
「意味わかんないし」
「なんでわかんないのよ!」
不満爆発のまま私はマグカップに手を伸ばす。
すっかり温くなったコーヒー。
どうせなら私の熱も冷めてしまえばいいのに。