しょっぱい初恋 -短編集-
しょっぱい初恋
『-―明』
名前を呼ばれれば、私の顔は何故か熱を帯びた。
『帰ろー』
この手を包み込まれれば、心が幸せで溢れた。
『明、好き…』
耳元で囁かれれば、何とも言えない気持ちが胸に広がった…。
一体これは何なのだろう。
今になって分かる、あの時の気持ち。
気づいたときには、一人ぼっちだった…。
『なぁ、オレのこと好き?』
『分からない』
『分からないって…』
『仕方ないでしょ。だって分からないんだから』
本当に分からなかった、あの時は。
人の暗いところばかりを映してきたこの目には、彼の想いを見抜く術を持ち合わせていなかった。
冷たいこの手には、彼を包む込む術を持ち合わせていなかった…。
何も分からない。
だけど私も、分かろうとはしなかった。
『ま、良いよ。明は一筋縄でいくとは思ってないもん』
素っ気ない私に、何故かたつきはいつも着いてきて。
多少は鬱陶しいと感じることはあったけど、特に抵抗はしなかった。
握られる手にも、抱き締める腕にも、愛を囁くその声にも…。
何も感じなかった。
否、感じないフリをしていただけ。
確かに私の中のたつきに対する何かは変わっていった。
ただ、どう変わっていたのか分からないだけで…。
分からなくて、自分が自分でなくなるのがいやで。
苛々して…。
『たつき…』
『どうしたの?』
『…ごめん、もう私の前に現れないで』
『え…?』
『……バイバイ』
『ちょっ、待ってよ…』
『触んないでよ…っ!』
最初で最後の…たつきへの拒絶。
ハッとした時にはもう遅くて、目を見開いて驚くたつきにチクッと胸のどこかが傷んだ。
それでも何も言えなかった。
「ごめん」の一言でも言っていたら…。
『そっか…』
『……』
『ごめんね、苦しめて…。バイバイ』
「違う」と、あの時止めていたら。
何かが変わっていたのかもしれない…。
結局その背中を止める術なんか知らなくて。
あの時の感情が何だったのかを、 今になって漸く気付いた。
「-―明…?」
「たつき…」
「……久しぶり」
「うん…卒業ぶり」
たつきとは同じ高校に入学した。
でもあの日以来、顔を合わすことなんてなかった。
あの時と変わらない笑顔。
あの時と変わらず鼓動が速くなるその理由、それは今も昔も変わってなかった。
「それじゃ…」
「あ…、たつき!」
「ん…?」
「あ、その…」
私達は少しだけ大人になった。
だけど私の心はあの日で止まったまま。
でもようやく、あの日のアンタみたいに前に一歩踏み出すこと、出来そうだよ。
「ありがとう…」
「明?」
ありがとう、私の初恋の人…。
「バイバイ」
初恋は涙の味だった…。
しょっぱい初恋(了)
(-―ねぇ、晴。アンタ最近元気ないね)
(へ、そぉ?)
(うん…)
同じだから分かるよ。
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