今宵、闇に堕ちようか
「怒ってるよね? 社長になにか言われた?」
「怒ってねえし。関係ねえ。施術は終わったのかよ」
「うん。終わった。給料明細ちょうだい」

 俺はデスクの引き出しをあけて、給料明細をさがす。『水嶋さえこ』と印字されている明細を手にして立ち上がった。
「ほら」と給料明細を渡して、すぐに院長室の扉を閉めた。

 たくっ。これだからオンナは面倒くさくて嫌いなんだ。自分の思い通りに恋愛がすすまないと、まわりを固めてじわじわと俺を責めてくる。俺だけならまだいいが。

「やってらんねえ」

 結婚してない同年代と付き合えば、結婚したらどうとかって理想ばかり突きつけてくる。それがかったるくて、結婚している女と付き合ってみたが。それも失敗のようだ。

 世の中。恋だの愛だの。好きだの恋しいだの、とうざい感情ばかりが蔓延るもんだ。




「あ、院長もたばこ休憩ですねえ」と昼ご飯を食べ終えて、一服しにきた根本莉緒が入ってきた。
「ん」と俺がたばこをふかせた。

「社長から電話があったって本当ですかぁ?」
 いきなり本題かよ。と俺は身構える。
 莉緒がたばこを一本取り出すと、俺をチラ見した。

「昨日、真田先生と黒野さんと飲んだんですけどね。飲みの席での話をまさか社長に話すなんてねえ。私驚いちゃいましたよ。明日、社長からハナモリに電話があったら、話そうって賭けをしてたみたいなんですよぉ。いつも社長は院長の携帯に直でかけるじゃないですか。だからかかってくるはずないって思ってたんですけど。タイムリーすぎません? もうびっくりです。真田先生なんか、院長が患者に枕営業してるとか言ってるし。酒の席って怖いですよねえ」
 俺が聞き出すこともなく、莉緒がにこにこと笑ったまま、すべてを語ってくれた。

 ありがたい存在でもあるが、怖い存在でもある。
 枕営業ねえ。事実も確認せずに、よくもまあベラベラと人のことを悪く言うもんだな。

「あれ? 私、なにかまずいこと言っちゃいました?」
 莉緒がはっとした表情をして、俺を見てきた。

「いや。平気」
 俺はたばこの火を消すと、喫煙室を後にする。
裏付け終了、だな。

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