今宵、闇に堕ちようか
『院長、寝ちゃったね。あたし、ハナモリに泊まっていこうかなぁ』

 車の運転席がバタンと閉まる音と一緒に、右耳の奥に甘ったるい女の声が残る。

 嫌な声だ。女の裏のある声。何かを待っている声。期待している声ともいえる。期待されても困る。今夜はとくに。

 寝たふりした格好のまま、俺はうっすらと目を開ける。開けたか開けてないか、わからないくらい数ミリ程度だけ。

 女はすぐに察知する。面倒くさいくらいに、すぐに、だ。だから演技は完璧を貫かなければならない。

 運転席から見える位置で、影が二つにわかれていく。一つは「はなもり接骨院」の建物に吸い込まれていく。もう一つは駐車場を離れて、歩道に出ていき、すぐに影が見えなくなる。

『ラインっ』と可愛らしい音がワイシャツの胸ポケットに入れてあるスマホから聞こえてくる。数秒後、またスマホが鳴る。

 薄目のまま、視線を動かす。ハナモリの入り口がぼんやりと光っているのが見える。ラインの相手がわかった。

 接骨院の中に入った今夜の飲み相手が、俺にラインを送ってきている。俺が本当に寝ているのか、探りを入れてきているのだ。

 絶対に寝たふりを決め込む。面倒な女は、嫌いだ。わかりやすい女も嫌いだ。支配したがる女も。俺を知っている風を装う女も。

 俺は俺だ。誰かにわかってもらいたいとも思わないし、誰かの支配物になる気もない。

『ラインっ』と音が鳴る。

 しつこい女だ。こんな女だとは思わなかった。もっとあっさりと後腐れのない関係を続けられる女だと思ったから、手を出したのだ。

 実際は可愛くない女だった。俺の嫌いな女路線まっしぐら。最悪だった。

 バタンっという音がして、慌てて瞼を閉じる。ハナモリから女が出てきた。数秒後に、車のドアがコンコンと何度もなる。


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