今宵、闇に堕ちようか
「ケーキ」と取ってきた箱をさえこの前でちらつかせる。
「ありがとう」とさえこが、手を伸ばすタイミングに合わせて俺はケーキの箱を上にひょいっとあげた。

 チャンス到来。これを逃す手はない。
 さえこの手が箱につられるようにあがり、つま先立ちになる。バランスをとるのにふらつくさえこの腰にさっと手をまわし、俺は唇を奪いにはいった。

 さえこの瞳がカッと開くのがわかる。キスされるのを悟ったのだろう。

 悟ってももう遅い。ここまできて、抵抗はできない。いままで抵抗できた女は一人もいない。キスのあとに拒む姿勢を見せつつも、絶対に堕ちる。そのままホテルにいく。

今夜のゴールまであと一息だ。

「ちょ……」という焦りの声とともに、さえこはケーキを取ろうとしていた手を帽子にあてて、スッと重心を落とした。俺との距離を少しあけたその数秒間に、帽子を顔にあてて、キスを拒んだ。

 なんて女だ‼ 初めてだ。帽子で拒否かよ。

「ケーキ、ちょうだい」と、ひるんだ俺の隙をついて、さえこがサッとケーキの箱を奪っていった。

 帽子をとったさえこのパーマがかったロングの髪が乱れた。それをなおしながら、さえこが帽子をかぶる。
 今度は帽子を取られないように俺は、帽子を押さえてからキスをしようと一歩踏み込むと、さえこは見越したように、しゃがみこんでキスをまたスルリとかわした。

 のほほんとした態度から、俊敏にかわせる技をもっているとは思えないのだが、二回ともキスを拒否られた。

 これはきちんと計画をたてて、キスをしないと。勢いでいっては、逃げられる。
 小柄で、細くて。ほんわかした女なのに。ケーキだけで、戻ってきてしまうような女なのに。キスを拒む術を持っている。

「ねえ」とさえこの間延びした声で、計画をたてようとする計算を一時止められた。

「そういうのやめて」と、ぴしゃりとさえこが口にした。

 ぎょっとするほど、冷たい視線になっている。

「なにが?」
「私はケーキが欲しくて、戻ってきたの。院長とキスするためじゃない」

 読まれてる。そりゃ、続けて二回もキスをしようとしたんだ。ばれていて当たり前だ。


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