夢おとぎ 恋草子
今しがたお部屋に立ち寄られた殿は
今日は物忌みなので参内もなく 
一日 お邸に篭っておられるのでございます。


物忌みは本来 塗籠のような狭いお部屋に篭って
難や厄を除けるのですが
実際はそこまで厳密にはいたしません。
篭るといっても邸内から出ないくらいのものでございます。
たった一日とはいえ 行動派の殿にとっては
退屈で窮屈な一日でございましょう。
書を読んだり 認めたり 琵琶を爪弾いたりなさって
お過ごしになるのですが
それに飽きると 時折 こうして私たちの集う作業の部屋に
お顔をお出しになり 他愛のない語らいをなさったり
雲雀さまや私をおからかいになって寛がれるのでございます。


「もしや・・・梢の初恋かね?」


悪戯に瞳を輝かせている童子のようなお顔の殿は
常盤さまによっていつの間にか、絶妙の間合いで設えられた
座に腰を下ろされると
「私にもぜひ聞かせて欲しいものだよ」と
脇息にゆったりと体をお預けになられました。


「いいえ!私ではございません!私はまだ…そのようなことは…」

「おや?初恋はまだなのかね?残念だねえ。
蕾も綻ばんとする年頃だというのに。
もったいないことだ。なぁ常盤」

「ほんに・・・」


殿の仰せに 微笑みをたたえて小さく頷かれた常盤さまは
静かにお立ちになられました。


「お話が弾みそうでございますね。佐々でもお持ちいたしましょう」

「ああ、いいね。二人には菓子を」

「かしこまりました。では・・雲雀さま、お手伝いを」

「はい!」


甘いものには目がない雲雀さまの最大の楽しみはおやつの時間。
いつにも増して声を張っての華やいだお返事だったのは
昨日は殿が懇意にしている商人の出入りがあったからにございます。
それも主に唐との取引をしている者。
故に 珍しい物や美しく眩い絹がお部屋いっぱいに溢れ
別世界を目の当たりにしているようでございました。
左大臣の姫君へのお祝いの品定めのために
殿がお呼びになられたのです。


そしてお祝いのお品と一緒に
美味しそうなお菓子もたくさん買ってくださったのです。
昨夜から雲雀さまが今日のおやつを心待ちにしていたのを
常盤さまはご存知だったのでしょう。
雲雀さまに「お菓子選びはお任せしましたよ」と仰せになられました。


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