君と春を
リハビリが始まり、5日目。
出来るだけたくさん歩くようにと百合先生に言われて午後の日差しの気持ちいいパティオに出る。
5階にある病室からここまでは体力の落ちた私には結構な距離があって、ゆっくりと休憩を取りながらでも着く頃にははぁはぁと息が上がっていた。
「はぁ…。」
病院前の通りも見渡せるこの場所は最初の入院中もよく来た覚えがある。
『一緒に頑張ろうよ。』
そう言ってよくリハビリに付き合ってくれたのは茉莉だった。
『許さない…!絶対許さない!あんたが幸せになるなんてあり得ないんだから!』
あんな風に言われるようになってしまった私たちの関係。
きっともう関わることは…
「美月。」
……ないと思ったのに。
聞こえた声は顔を向けるまでもない。
私はそのまま視線を茉莉には向けない。
「……死ななかったんだね。残念。」
勝ち誇ったような見下すような口調は腹が立つけれど、相手にする気にもなれない。
立ち上がって病室へ戻ろうと歩き出すと私の態度に苛立った茉莉に後ろから強く腕を引かれた。
「……っ!」
やっと歩ける程度にしか回復していないのに抵抗出来るわけもなく、気づくと尻もちをつくように倒れていた。
責めるように見上げるとさすがに『しまった』とでも言いたそうな顔をしていて…溜息が出る。
「…茉莉。渡会くんとはあれ以来会ってもいないしあなたが何で悩んでいようと私は一切関係ない。
……それとも、人のせいにしないといけないような後ろめたい方法で結婚をしたの?」
「…っ!」
怒りに震えるように顔を赤くする茉莉。
……え!?まさか……図星?
「……!痛っ!」
次の瞬間、視界に影が落ちたかと思うと腹部に激痛を感じた。
………何!?蹴られ……たの…?
咄嗟に痛む部分を右手で抑えると今度はその右手に激痛を感じた。
「…っ!茉莉!やめて!」
負けたくない一心で睨んでハッとする。
「泣…いて…?」
「私が何年友晴を思ってきたかわかる?7年だよ?
ずっとずっと想い続けて…やっと私を見てくれるまで6年もかかった。
だから…だから………」
「…妊娠したって嘘ついたんだってな。」
声のする方を向くとそこにいたのは慎汰さんだった。
お腹に手を添えて倒れこんでいる私を見てイライラとした表情を浮かべて歩み寄る。
「慎汰さん?何で………ひゃあっ!」
思いがけなく抱え上げられてしがみついてしまう。
「……大丈夫?こんなことされるなんて。痛かったろ?」
労わるように切なく、端正な顔が歪む。
「…平気です。こんなのなんでもありません。……だから降ろしてください。それに今の話…」
胸を押して突っぱねる。
茉莉にこんな姿を見られるのが嫌だった。
「…慎汰さんっ!」
「……イヤだ。今の身体じゃ1人で戻るの無理だろ?」
「っ…!」
確かにそうだ。だけど…
「渡会さん。」
私を抱き上げたまま茉莉に視線を向ける。怒りを含んだ冷たい視線は普段私の前では絶対にしないものだ。
「…っ!」
怯んだ茉莉が息を飲む。
「…キミさ、やっと自分を向き始めた彼と一晩過ごしたらそのあとすぐに妊娠したって騒いだんだって?
責任とってと迫って数日以内に入籍なんて…頑張ったな。
でも1度も彼に証拠を見せることなく流産したと言った。
ちょうど美月に再会した頃だな。」
「……………」
言葉が出ない。
「これでも美月のせいで彼が去ったと言える?」
「……っ!」
唇を噛みしめる茉莉は憎しみとも取れる表情で私たちを睨む。
「…本当なの?茉莉……」
「……………だって、失いたくなかった。
いつも彼が美月のことを気にかけてるのはわかってた。大学にこっそり様子を見に行ったりしてたから。
…やっと結ばれて。どうしても逃したくなくて嘘ついた。
結婚して…流産したって言った時に詰め寄られたの。オレを嵌めたのかって。
美月に会ったのがちょうどその頃。しかもそれを知られて……。」
「茉莉……」
「怖かった。また美月に大事なものを持って行かれるって…。」
観念したように俯く。私はそんなに、茉莉を苦しめて…
「美月のせいにするな!」
その怒りに満ちた声にびくりとする。
驚いて見上げると慎汰さんは、私を抱く手にギュッと力を込め言い放った。
「自分の問題を美月になすりつけるな。結局君は彼じゃなくてその心にいるかもしれない美月を見て嫉妬したんだろ?
男を取られた気がして焦ったか?生憎こいつは俺だけのものだ。他の男が付け入る隙はどこにもない。
…だろ?美月。」
「…もちろん、その通りですが…
ちょっ、降ろしてください。」
彼の腕を降り、茉莉と向かい合う。
「茉莉。
私はこれ以上過去に振り回されない。
慎汰さんの隣に、ちゃんと自分の足で立つために過去とはもう決別する。
もう二度と、茉莉とは会わないし、忘れる。
だから…茉莉も私のことは忘れて。
…私のことなんて、考える必要ないんだよ。
私はいつも茉莉の明るさと前向きな所に助けられたし…惹かれてた。
いつもみんなの中で笑ってる茉莉が羨ましくて…。
渡会くんだって、そういうとこに気づいたから茉莉を向いたんじゃないの?
……私は手を貸さないけれど、もう一回頑張ってみたら?
ね、慎汰さん。」
「………」
慎汰さんは何も言わない。
「私がずっと過去に怯えてたように、茉莉も怯えてたんでしょ。
だからもうやめにしよ。
…優也のことも、心の中でけじめをつけたから起きられた。もちろん、そうできたのは慎汰さんが呼んでくれたからだけど。」
心の中は驚くほど凪いていた。
私はもう大丈夫だ。
「美月…。」
涙を流して俯く茉莉。これはきっと少し前までの私だ。心を閉ざすか、他者にを攻撃するか、表現の方法が違うに過ぎない。
「…そういうこと。もう全て終わりにしなさい。」
振り向いた先にいたのは百合先生だ。
「…あなたもある意味優也の被害者ね。
…でももうおしまい。
美月だって自分の足で立ってるんだから、あなたも自分で歩きなさい。
カウンセリングが必要ならいつでも待ってるから。」
咽ぶように泣く茉莉はとても小さく見えて…、でも私が心の中に押さえつけて来た臆病な自分をみてるようで………
悲しくて切なかった。