君と春を
私の両親はそれぞれがイタリア留学中に観光で出会った。
父はミラノ、母はローマ。フィレンツェには偶然訪れていて、この古書店で出会った。古い歴史書を探していた父と、イタリア小説を求めていた母。
一目見て日本人とわかったふたりは自然と言葉を交わし、店の外で数分の会話をしたそうだ。
話の流れで父は持っていた一冊の小説を母に差し出した。
そして別れたふたり。その時は恋心なんてものお互いなくて、関係が発展したのは帰国後に偶然再会してからだと母に教わったことがある。
その店の外での光景を見ていたご主人はなぜ父が母を食事に誘わないのか不思議で仕方がなかったと、後に私に話した。
私が探しているのがその時の本。14世紀を舞台にしたミステリー小説で、母に差し出されたのは初版だった。
だから私も初版を探している。
両親の出会ったこのフィレンツェで。
母の本棚に大事に収まっていたその本は表題を教えてもらっただけで、イタリア語がまだわからなかった子供の頃の私はいつか読みたいとずっと思っていた。
そしてあの地獄のような出来事。
その本は残らなかった。