君と春を



数日後、イタリア出張の命を受け、検査と予備薬の処方をしてもらうため午後に半休を取って主治医のいる総合病院に来た。

無機質な廊下を進み、心療内科の前に来ると顔見知りの看護婦さんに挨拶して診察を待った。

指定された診察室に入るとそこにいたのは百合先生。

「美月、いらっしゃい。」

柔らかい笑顔を向けるこの人は唯一私が全幅の信頼を置いている人。

肌はつやつやでスタイルも良くタイトスカートを難なく着こなすこの人を、40歳だと見抜ける人はそうそういないだろう。

「今日はどうしたの?調子悪い?定期検査はまだだったはずだけど…」

10年近く私を見守って来てくれた百合先生。私が本音をさらけ出せるのはこの人の前だけ。

「実は……」

イタリアへの出張を説明していつもの薬を貰う。

「同行する人はあなたの体調のこと知ってる?……なわけないか。」

診察後、ちょっと休憩と言いながら百合先生はいつものようにエントランスまで私を見送る。

並んで歩く廊下の窓から見えるのは大振りな桜の木。すっかりと秋の風が吹く季節も手伝い、葉もちらほらと散り始めている。


その桜から目が離せないでいる私に百合先生が言葉をかける。

「仕事はどう?うまくやってる?」

おそらく本当に話したいことはそっちだろう。

私が社会と馴染まず人との関係を拒絶し続けていることを、ずっと気にかけている。


…………罪悪感を持ちながら。


「……はい。普通です。

それより百合先生?
仕事ばっかりじゃ、旦那様に愛想つかされますよ。」

話題を逸らそうとワザと先生自身の話を振る。

「……美月?私を誰だと思ってるの?」

歩く足を止め、冷ややかな視線を作って私を見る百合先生はちょっとかわいい。

「ふふっ。」

自然に出た笑顔と笑い声は、他の人に向けることは決してない。

エントランスを出た横にある小さなパティオのベンチに座ると百合先生は真剣な顔で切り出した。

「美月、あなたもそろそろ前を向いてみない?

……あれからもう、9年以上経つわ。もう一度…」

「もう一度なんてないです。

私はもう誰も好きにならないし、愛情も…友情も誰も信じない。それでいいんです。

…あ、百合先生は別ですよ?」

目一杯笑顔を作って答える。その笑顔が本物じゃないことはきっとバレバレだけれど、百合先生が私の唯一の理解者であることへの感謝の気持ちだ。

「美月……」

困ったように笑う百合先生。

この人も、ずっと苦しい思いを抱えてきている。


ごめんね、百合先生。




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