さちこのどんぐり
いろいろ考えを巡らせているうちに、ほとんど眠れないまま朝を迎えた大森は
出勤した会社の休憩スペースでコーヒーを飲んでいた。

「所長。ミーティングルームに皆、揃いました」

彼を呼びに来た部下に

「わかった。いま行く」

そう答えて、手にあるコーヒーを飲みほした大森は紙コップをゴミ箱に捨てて休憩スペースを出た。

その夜も、あくる夜も奈津美は大森の部屋には来なかった。
やがて数日が経ち、奈津美から連絡も来なくなって1週間が過ぎようとしていた。

あの夜の奈津美の言葉は、「悲しい別れ」の言葉だった。
「行くね」と言った奈津美は、もう戻ってはこないという彼女の決意だった。

再び1人となった大森の部屋で
「いっそ片づけてもいいかな」と思った広めのエントランスに置かれた「クマ柄の脚マット」とピンクのウサギがついたスリッパも

リビングに置かれたクマやら、アルパカやら、ウサギやら、カエルやらのグッズたち

それに洗面所にあるピンク色のネコが描かれた脚マットと黄色いヒヨコの形をしたタオルホルダーも彼はそのままにしていた。

あの日彼の心の中で爆発しそうになった感情をおさえているのか
それとも、あの感情は一時のものだったのか。

大森は、それがわからずに、ただ自分の中に湧き起こる「寂しい」という
自分では予期していなかった感情に戸惑っていた。

その翌日
時計を見ると21時を少しまわったところだ。

これから会社を出て、駅へ向かい、家にたどり着いたら
22時を30分くらい過ぎたくらいだろうか…

風呂と食事を無言で、なんの感情もなく終わらせ
ベッドに入る。

まだ寝足りないと思っていても
朝はあっという間にやってくる

相変わらず、彼は疲れていた。

ただ、自宅と会社の往復だけで日々が終わり、
休日に休んでも、疲れが取れないような気がする。

結局、その日21時過ぎに大森は会社を出た。

電車で自宅の最寄駅に着き、
そこから彼の部屋までは駅前の通りを、あと15分くらい歩く。

駅前のコンビニでなんとなく思い出して「魚肉ソーセージ」を2本買った。

すっかり人通りも途絶え始めている駅からの道を歩き、
大森の住むマンションの少し手前にある自動販売機のかげ。

そっと覗いてみたが、あの日のネコはいない。

あれから、ずっとそのネコは見えなくなっていた。
「どこかで飼い主でもみつかったかな」

大森はそんなことを考えながら、たどり着いたマンションの上階へとエレベータで上った。

部屋に入り、暗いリビングへ進む。

「おかえりー!かーたん」

懐かしい出迎えの声はない。

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