さちこのどんぐり
結婚後、多忙な商社勤務で、仕事ばかりだった吉田に
舞子は文句ひとつ言わず吉田を支えてくれた。
そんな舞子にずっと感謝していた吉田だったが、口下手だったため
なかなか「いつもありがとう」の一言も言えなかった。
夫婦は子供に恵まれなかったので、会社をリタイヤしたあとは、
二人きりの老後をのんびり送ろうと考えていた矢先のことだった。
昨年、不調から病院へ行った舞子の脳に腫瘍が見つかった。
今では
舞子はもう病院から出ることはない。
もう定年を迎えていた吉田は東京の郊外にあるホスピスに妻を入院させ、
できる限り舞子との時間を大切にしようと考えていた。
舞子は車椅子がなければ移動もできず、
意識が混濁することも多くなり、
会話を交わせることも少なくなっていた。
すでに夫である吉田のことも分からないらしく、
ホスピスの看護師との区別もつかなくなっている状態だった。
だから意識があるときでも、夫である吉田のことを
「吉田さん」
と呼び、職員か何かだと思っているようだ。