彼岸の杜



力を入れすぎて血が滲んだ拳が震えている。拳だけじゃない。足も、肩も、唇も声も。あふれそうな何かを必死に押しとどめているように全てが震えている。



「こんなにも想っているのに、大切なのに、失いたくないのに、それを彼女もわかってて、同じ想いを抱いていて、それでも彼女は意志を変えなかった…自分ひとりで救えるならって、僕や村を守れるならって、笑うんだよ……僕を置いて行ってしまう…っ…」



ほろりと耐え切れなかった涙の粒が落ちていく。悲しみを湛えたそれはどこまでも純粋な想いを秘めていて泣きたくなるぐらいに美しい。


清二さんの想いのかたち。



「彼女のいない世界なんて考えたくない…彼女のいない世界に意味なんてない…それでも、彼女が望むから、僕にはそれを止められない……っ」



次々と頬を転がり落ちていく雫が清二さんの着物に濃い色を落としていく。あたしも清二さんの強くてどこまでも純粋で悲痛な叫びに引っ張られるように涙をこぼしていた。


ふわりと柔らかな風があたしと清二さんの間に吹く。一瞬確かに目が合って、清二さんは儚くて今にも消えてしまいそうな優しい笑みを浮かべた。



「愛しているんだ、彼女を……紅(くれない)のことを、誰よりも愛しているだけなのに……」




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