強引社長の甘い罠
「ちょっと待ってろ」

 彼は立ち上がると、ウォークインクローゼットに消えた。ほどなくして、黒いスウェットパンツとTシャツを手に戻って来てそれもテーブルに置くと、またどこかへ消えた。

 祥吾の付き添いで病院で診てもらった後、私はそのまま彼のマンションへと連れてこられた。彼に言われるままこうして彼のプライベートスペースに上がりこみ、彼のダブルベッドを占領している。彼の匂いがするシーツを私の汗まみれにしてしまった。

 私は改めて、初めて目にする室内を見渡した。その昔、私とつきあっていた頃に住んでいたところとは別のマンション。当然だ。あの頃のマンションは、彼がアメリカに移ったときに引き払ったのだから。ここには、私との思い出は何もない。……私の部屋は、あの頃のままだというのに。まるで私たちの心を反映しているかのようだ。彼は新しい生活を謳歌しているのに、対する私はあの頃から何も変わっていない。

 祥吾が戻ってきた。手にはタオルを持っている。彼がベッドの縁に腰を下ろした。何をするつもり?

「着替える前に汗を拭いたほうがいいだろう」

 何でもないことのように言われた。肩をすくめて「ほら」とでも言いたげだ。

「……えっと?」

 私が戸惑って彼を上目遣いで窺うと、彼はニヤリと笑った。

「遠慮する必要はない。ほら、脱げ」

「えっ!」

 濡らしたタオルをテーブルに置いた祥吾は、楽しげに口元を綻ばせながら私の方へと手を伸ばす。汗で冷えたTシャツの裾を掴んでめくろうとした。

「ちょ、ちょ、ちょっと……!」

 焦った私は慌てて祥吾の腕を掴んで押さえた。深い海のような青い瞳と視線がぶつかる。彼のしなやかでガッシリした腕に触れて高鳴る私の心臓は今にも破裂しそうだ。どうして触れただけでこうなるの? 自分の反応が嫌になる。だけど仕方がない。相手はあの桐原祥吾なのだから。どんな女性も彼の虜にならずにはいられない。それは、過去に彼の恋人だった私も……例外じゃない。

 頭を軽く振った。ズキズキとした鈍い痛みが広がる。熱はほとんど下がったけど頭痛は治まっていない。思わず顔をしかめた。
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