強引社長の甘い罠
「もしもし?」

『俺だ』

 やや不機嫌な祥吾の声だった。

「どうしたの?」

『今、どこにいる?』

 低く威圧的な声は苛立ちを隠せていない。間違いなく機嫌が悪い。私は眉根を寄せた。でも、今日は祥吾と約束があったわけじゃない。私がどこにいようと自由なはずだ。

「ウチの近くのファミレスだけど……」

『ファミレス? ああ、また自炊が面倒になったのか』

 少しムッとして答えると、祥吾の口調にからかいが混じった。電話の向こうで祥吾がニヤリと笑っているのが想像できる。なんだ、もういつもの祥吾に戻っている。私は唇を尖らせた。

「違うわよ。今日はちゃんと家で食べたんだから。今はちょっと人と会う約束をしてて、出てきてるだけ」

 はっきり聡と会っていると言えないのは、やっぱり少し後ろめたい思いがあったからかもしれない。聡はただの同僚じゃない。疑われるようなことは何もないとはいえ、元恋人と会っているなんて知ったら、祥吾だっていい気はしないだろう。

 それに、本当のところ、今日知った事実をうまく説明できる気がしない。この話を祥吾にするべきなのか、それともこのまま黙っているべきなのか、それすら判断がつかない。こうして私と祥吾がうまくいっている今、わざわざ過去の話を蒸し返す必要などないのでは、という思いもある。事実とはいえ、今さらそんな話をしても、聡と佐伯さんのしたことを告げ口しているような気になりそうだ。私は黙っていることにした。とりあえず、今のところは。
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