強引社長の甘い罠
「唯!」

 とても険しい表情の聡が、ざわついて群がっていた人を押しのけて私のところにやってきた。

「どいてください!」

 私の背をさすっていた祥吾を一喝する。私は聡に腕を伸ばした。聡は私の手を取り、背中にそっと右手を回すと、先ほどまで祥吾がそうしていたように、ゆっくりとさすり始めた。

「大丈夫だよ、唯。落ち着いて……ゆっくり息を吐いてごらん。そう、上手だ。少し息を止めて。吸って……」

 聡の言葉に合わせて、私は少しずつ呼吸を取り戻していった。やがて完全に息が出来るようになるとブルブルと体が震え始める。掴んでいた聡の左手をギュッと力強く握った。
 聡は一つ頷くと、私を抱き上げた。祥吾の前……大勢の社員の前だとわかっていたけれど、私は聡にギュッとしがみつく。聡の胸に顔を伏せると、彼が凛とした声で言った。

「お騒がせしてすみません。彼女はもう大丈夫です。けれど今日は大事を取って帰らせます。途中で申し訳ありませんが、彼女を送り届けますので僕もお先に失礼させていただきます。お疲れさまでした」

 聡がペコリと頭を下げるのがわかった。私はそれ以上何も言葉を発することもできなくて、そのまま黙って聡に抱えられていく。
 店を出た聡がタクシーを捕まえ私を乗せる。一緒に乗り込んできた聡は、私のアパートに着くまで一言もしゃべらず、ただずっと私の手を握り締めてくれていた。
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