強引社長の甘い罠
 仕事を終える頃には、頭はさらにぼんやりしてきた。体がだるくて、例え食欲がなくても一口でもクロワッサンをかじるべきだったと後悔した。

 まだ少し残って片付けたい仕事があったけれど、今日はここで切り上げて帰宅することにした私は、周りの人に挨拶をしてエレベーターに乗った。
 エレベーターを降りたところで私は数分前の自分を呪った。せめてもうあと五分だけでも仕事をしていればよかったのに。

「あら、七海さんじゃない」

 ビルのエントランスにきたとき、二重になった自動ドアをくぐって入ってきたのは佐伯さんだった。私の心臓がドクンと激しく震える。にこやかに微笑み返すなんて出来そうになかった。

「……こんにちは」

 それでも何とか挨拶を返した。やっぱり笑えている自信はない。
 佐伯さんはそんな私の様子に満足そうに笑う。「こんにちは」と返してくれた後、私の前で立ち止まった。どうしたの? 私は一刻も早く立ち去りたい気分なのだけれど。

 それでも彼女が立ち止まった以上、私も立ち去ることが出来なくなって、私も足を止めた。私より背の高い彼女を見上げる。

 ここ最近はビジネススーツを着ている彼女を見ることが多かったけれど、今日の佐伯さんは華やかだった。光沢のあるドレッシーな真っ青のワンピースに、同色のフロント部分にダイヤが散りばめられたパンプス、パールとダイヤモンドのネックレスを合わせた彼女はいかにも洗練された大人の女性で、これからどういった場所へ出掛ける予定なのかを私に連想させた。ドレスコードのある高級ホテルといったところなのは間違いないだろう。それに彼女がここに来たということは……。
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