強引社長の甘い罠
 俺の最初の罵声にも、飛び散ったコーヒーにもまったく動じなかった井上が、俺のこの言葉に大きく目を見開いた。そのまま荒い息を吐く俺をまじまじと見つめ、言葉を失っている。

 俺は苦々しげに悪態をついた。他人の、しかも部下の前で、こんなにも己の感情を激しくぶちまけたことなどない。仮にも会社のトップに立つ人間が、会社をないがしろにしているような発言も失言以外の何でもない。だけど我慢ならなかった。俺の唯一確かなものを否定されたことが。

 俺は苛立つ感情を隠そうともせず髪を何度もかき上げた。井上はそんな俺を黙って見ている。部屋が沈黙で満たされた。そしてやや後、井上がぽつりと言った。

「だったら、どうして彼女にそう言わないんです?」

 俺は片眉を上げた。上目遣いに目の前の井上を見ると、彼は尚も言った。

「僕が過去にしたことはひどい過ちでした。僕は後悔しています。でも、敢えて言わせていただきます。どうしてあの時、彼女と話し合わなかったんですか? 唯はあなたを裏切ってなんかいなかった。あなただけを待っていた。だからお二人がきちんと話しさえすれば簡単に解ける誤解だった。唯はそれを後悔していました。だから彼女はきっと、あなたに理由を聞きたいと思っているはずです。あなたは彼女に、また本当の事を何も話さないんですか?」

 彼の言うことはもっともだった。俺は自分の都合だけで物事を考えていた。彼女に心配させたくないからと何も知らせず、ただ影から守ろうとした。唯が俺と何度も連絡を取ろうとしていたのは分かっていたのに。こんなのは、唯のためでも何でもない。俺はギュッと拳を握り締めた。

 唯に何もかも話そう。彼女ならきっと、俺と一緒にこの問題を乗り越えようとしてくれるはず。
 その時、俺のスマホが鳴った。こんなときに、何だっていうんだ!

 ポケットからスマホを取り出して画面を確認する。俺は眉根を寄せると立ち上がった。一緒に立ち上がろうとした井上を片手で制し、俺は窓際に行った。井上が再びソファに落ち着くのを確認しながら電話に出る。

「何かあったのか?」

 開口一番問いかけた。電話の相手は裕司だった。彼には一つ頼みごとをしてあった。

『繋がってよかった。昨日から学会で広島に来てるんだ。ああ、言い訳は後にしよう。それより彼が見つかった。おとといの夜の便で入国している。まだ日本にいるはずだ』

「何だって?」
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