強引社長の甘い罠
 私、桐原唯、二十九歳。ここ、サンディエゴにある祥吾がCEOを務める『クレイ・インターナショナル』で彼の秘書として働いている。

 一昨年の暮れに会社の朝礼で祥吾からの公開プロポーズを受けて半年が過ぎた頃、私は五年間勤めたアイクリエイトを退職し、既にアメリカに戻っていた祥吾のいるニューヨークへとやって来た。

 その頃、祥吾が彼の父親から継いだ海運会社『JCラインズ』はサンディエゴ、彼が自分で設立した投資会社『クレイ・インターナショナル』はニューヨークと、それぞれ西海岸と東海岸に位置していた。メイソンさんのポストが不在となり当面全ての業務を取り仕切っていた彼は利便性を考慮して三ヶ月前に『クレイ・インターナショナル』をサンディエゴに移転させたのだ。そのため今私たちは、こうしてこのサンディエゴの町で暮らしている。この町は治安もいいし、私にとても合っているみたい。

 アメリカに来て最初の一ヶ月は初めての海外生活に慣れるためにと、祥吾は私をいろんなところへ連れ出してくれた。ただし、私の外出は危機管理にうるさい祥吾によってかなり制限されていて、初めのうちは祥吾同伴でないとスーパーへ行くことすら出来なかった。でもその頃の私にはそれが有難かったのも事実だ。

 日本を離れる前に英会話はかなり勉強したつもりだけど、やっぱり最初は聞き取るのに苦労したからだ。英会話教室と違って人々は崩れた英語を話すし早口だった。全てを聞き取れない私は彼らのジョークにも反応できなくて、しばしば孤独を味わった。いくら祥吾がいてくれるとはいっても、彼にだって仕事がある。四六時中、彼に甘えるわけにはいかない。
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