強引社長の甘い罠
「ついさっきまで、その理由は自分だと思っていたよ。だけど違ったんだな。いつも仕事はきっちりこなす君が、あんな新人のようなミスをしたのは、俺のせいじゃない。君の……今の恋人とのことが原因だったんだ」

「……あの、どういうことでしょうか？」

　彼の言わんとしていることが理解できない。私は眉根を寄せると首を傾げた。

「まさか、忘れたとは言わないだろう？　唯」

「……え？」

　彼の少し薄い唇から発せられたのは、確かに私の名前だった。いつの間にか私と向かい合ってた彼が、瞬きもせずに私を見ている。

　私の体が激しく震えた。
　どうして？　彼は、私を覚えていたというの？

　あまりの衝撃に言葉が続かない私は、座ることも出来ず呆然と彼を見つめ返し、立ち尽くしたままだ。
　彼の右手がゆっくり動いたかと思うと、その長い指が私の顎をそっと持ち上げた。深い闇のようなブルーの瞳が間近で私の顔を覗き込む。

「覚えているはずだ、唯。俺が初めてこの会社で挨拶をしたとき、君の様子を見て分かっていたよ。その後の会議でも、映画館で偶然会ったときも、君はソワソワしていた。俺との再会で、明らかに動揺していたね」

　私は吸い寄せられるように彼を見つめたまま、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「祥吾、私を覚えて……」

　彼は私を覚えていたのだ。彼の香りも、瞳の色も、その声も、何もかもが昔のまま。彼は、私を忘れてなどいなかった！

　私はこのとき、その事実に驚き、そして多分、舞い上がっていた。
　彼がどうして今まで、私のことをまるで忘れたかのように無視していたのかなど、問い詰めようとも思わなかった。

「唯……」

　もう一度私の名を呼んだ彼が私の腰に左腕を伸ばし、そのまま抱き寄せる。
　私と祥吾の距離が急に親密な男女の距離になった。
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