強引社長の甘い罠
 祥吾が言ったように、あの時私がキスを求めていたかは分からない。けれど、彼に触れられて、止まらなくなったのは紛れもない事実だ。
 あのめくるめくような、甘い口付けを思い出すと体が熱くなる。

 こんな気持ちになったのは、もう何年も前のこと。七年前に祥吾と別れて以来、感じたことはない。それは、三年間付き合ってきた聡とも……一度も、ない。

「……分かった」

 聡が言った。

「……え?」

「分かった、って言ったんだよ、唯」

 聡がほんの僅か笑みを浮かべた。切れ長の瞳で、穏やかな視線を私に注いでいる。いつもの優しい彼と、何も変わりがない。
 彼は、どうしてこんなときまで、私に優しくしてくれるの?

 聡がテーブルの上で組んでいた両手を解すと右肘をついた。その上に、肉付きの薄いその顎を乗せる。そのまま窓の外に視線を移した。

 駅から近いとはいえ、一本奥まった通りに面しているからか、人通りはまばらだ。彼はそんなたまにしか人が通らない道を、真剣な眼差しで眺めている。

「こんなとき、俺が唯より年下で、もっとなりふり構わず行動できるタイプだったらよかったのに、と思うよ」

「……聡?」

「そうしたら、みっともなく君に縋ることもできたかもしれない」

 再び私の瞳を捕らえた彼の目は、ほんの少し潤んで見えた。それでも彼がゆっくりと瞬きをした次の瞬間にはいつものように笑ったから、それは気のせいだったかもしれない。

「……聡」

「別れても今までどおり、良き同僚、良き友達ではいられるだろ?」

「それはもちろん……聡さえ良ければ……」

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