強引社長の甘い罠
「帰国して間もない良平が、店を予約してまで私と食事に行く理由って何?」

 ゆっくりとした歩調で少し前を歩く良平に、やや小走りで近寄ると、私は腰を斜めに折り曲げて彼の顔を覗き込んだ。
 歩きながら良平の茶色い瞳と視線がぶつかる。良平はあからさまに不機嫌になった。

「それって必要?」

「何が?」

「食事の理由」

 ドアマンが開けてくれたドアを次々とくぐり、私たちは白い窓枠の柱の斜め隣に用意された席に着いた。

 日々、日本の景気を憂えているというのに、高級レストランで週末ディナーを楽しむ人の何と多いことか。席は満席で、あちこちから楽しそうな笑い声が響いている。
 まるでペンライトのような電球が、天井から種類ごとに整然と吊るされた空間には、ブラームズのバイオリンソナタが古風でゆったりとした時の流れを刻んでいた。

 良平が二人分の飲み物と料理をオーダーし、私たちの再会を赤ワインで乾杯したところで私は言った。

「誘ってくれてありがとう」

 ここ最近、私が振り回されている様々な感情に疲れきっていた私は、この不思議と落ち着ける雰囲気に安堵と感謝の溜息を漏らす。理由なんて聞かなくても分かりきっている。良平はいつもそうだ。優しくて、私の気持ちをいつだって尊重してくれる彼は、やっぱり私の自慢のイトコだ。

 そんな私を見ながら、良平も表情を和らげた。茶色の瞳が細められ、唇がゆるやかにカーブする。

「どういたしまして。せっかく唯と再会したんだ。あっちに戻る前に一回くらいはこういうのもいいだろ?」

「ええ、そうね」

 にっこり微笑むと、目の前のとびきり洗練された男性は慣れた手つきで食事を始めた。
 周りの女性たちから向けられる彼へのうっとりと賞賛する眼差しも、私への嫉妬に満ちた視線も無視して、私も食事を進める。
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