強引社長の甘い罠
 祥吾が私の隣に腰を降ろした。私の手にある空になったコップを受け取りながら言う。私は首を振った。

「ううん。もう充分。ありがとう」

 優しい口調で話す祥吾とこうして並んで座っていると、昔に戻ったみたいな錯角に陥る。まるで彼と恋人同士だったあの頃そのままだ。

 何もかも……同じ。エレベーターのない三階建てアパートの最上階、一番東側の角部屋。玄関から入るとすぐにキッチン、引き戸をあけるとベッドが置かれた六畳間がひとつ。小さなテーブルと二段チェスト。その上に置いたテレビも、全てが昔のまま。何ひとつ、変わっていない。

 どうして今日の彼はこんなに優しいの? 彼は今、何を考えているの?
 疑問はいっぱいあるけれど、彼だけじゃなく、今日は私もいつもと違うみたい。無性に彼に甘えたくなり、その欲求を跳ねつけることができない。

「じゃあ行こうか」

「……うん」

 祥吾の肩にそっと頭を預けた。体がだるくて何かに寄りかかっていたいのは本当だ。だけど普段の私だったら絶対にこんなことはしない。今、こうしてしまうのは、熱のせい……。それだけよ……。
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