こうするしか生きていく術(すべ)がなかったから
家には救急車とパトカー、それに興味と好奇心に駆られた野次馬達がどっと押し寄せてきた。
たちまち騒がしくなった家。
警察は俺達がまだ三歳だったことと両親がドラッグに溺れきっていたこと、そして俺達に暴力を振るっていたことなどを鑑み、更に三歳児がするのにはあまりにも陰惨だとして空巣による快楽殺人ということになった。
当然だ。三歳の幼児にそんなことできるはずがない。
世の大人たちはみんなそう思っていた。
それどころかみんな俺達を同情や憐れみの目で見てきた。
『怖かったね』
『もう大丈夫だよ』
『おじさん達がついているから安心していい』
『君達は凄いね』
このとき、俺達は子供という立場を最大限に活用していけば世の中を巧く生きていけるということを悟った。
子供は何をしても許される。
だってまだ子供だから。
子供が親を殺すハズがない。
しかもかこんな惨たらしい有り様で。
そういう大人達の勝手な先入観が俺達を目覚めさせた。
結局無理矢理施設に入れられそうになった所を水崎家に引き取られ、表向きは水崎家が保護者代りとなった。