続 音の生まれる場所(上)
「中に入れ!」
先生の怖い声がして我に返った。
旅支度の大きなスーツケースと楽器のケースを抱え、彼が中に入る。騒つく団員達の前に、先生がやって来る。
柳さんもハルもシンヤも、皆、何が起こったのか分からないような顔をしていた。
指揮台に立った先生が、部屋の隅で荷物を片付けている彼を呼んだ。
「こっちへ来い!」
怒ってるような言い方。先週、私と柳さんにとった態度と同じくらい、厳しい感じがする。
ジャケットを脱いで、彼が私達の前に立つ。
ボンヤリしたまま立ちすくむ私を、セカンドフルートの石澤さんが座らせた。
腰が抜けるように椅子に座り込む。身体の力が抜けるような感じ。目は見えてるけど、全てが幻のようにも見える。
目の前にいる人は、ホントに私の知ってる人なのか、信じたいような信じられないような気持ちで一杯になっていたーーー。
「皆、コイツの顔を覚えているか?」
指揮者らしい独特のジョークから始まった。先生は彼を指揮台の側に立たせ、改めて紹介した。
「俺の不出来な弟子だ。名前は坂本理。もう三十歳になったんだって」
呆れた言い方に、皆が少しだけ笑う。「まだ若いぞ!」と、年配の団員から声がかけられた。
「ついこの間まで、ドイツの楽器工房で自分の目標通りの楽器作りに邁進していたんだが、俺が不用意にかけた電話が元で、すっ飛んで帰って来やがった。その理由と言うのが…」
チラッと私の方を見る。何気に目が合い、慌てて逸らした。先生の視線が前を向く。柳さんや皆の顔を確かめて、不服そうに言い放った。
「自分の楽器が…出来上がったからだそうだ!」
ガタンッ!と柳さんが椅子から立ち上がる。驚いて、思わずそっちを見る。先生が一瞥する。それから皆にこう言った。
「拍手してやってくれ!俺の弟子は、今日から一人前だ!」
パンパン…と先生が拍手を送る。それに合わせて、皆が立ち上がる。拍手の輪が広がってく。柳さんが彼に抱きついて泣く。ハルもシンヤも彼の所へ走って行く。皆が彼を取り囲む。皆、涙に暮れている。
待っていたことが、目の前で起きている。叶うか叶わないか分からなかったことが、ホントの事として起こっている。
夢を見ているみたいで、側に近寄れない。近づくと逃げてしまいそうで、足が竦む。
声をかけたいのに…
手を握りたいのに…
何も…できない……。
「真由子!」
シンヤが呼んだ。
「真由!何してんだよ!」
ハルが叫んでる。
「真由ちゃん、こっちにおいで!」
柳さんが手招きする。
でも、ダメ…。
足が出ない…。声が…出せない…。
先生の怖い声がして我に返った。
旅支度の大きなスーツケースと楽器のケースを抱え、彼が中に入る。騒つく団員達の前に、先生がやって来る。
柳さんもハルもシンヤも、皆、何が起こったのか分からないような顔をしていた。
指揮台に立った先生が、部屋の隅で荷物を片付けている彼を呼んだ。
「こっちへ来い!」
怒ってるような言い方。先週、私と柳さんにとった態度と同じくらい、厳しい感じがする。
ジャケットを脱いで、彼が私達の前に立つ。
ボンヤリしたまま立ちすくむ私を、セカンドフルートの石澤さんが座らせた。
腰が抜けるように椅子に座り込む。身体の力が抜けるような感じ。目は見えてるけど、全てが幻のようにも見える。
目の前にいる人は、ホントに私の知ってる人なのか、信じたいような信じられないような気持ちで一杯になっていたーーー。
「皆、コイツの顔を覚えているか?」
指揮者らしい独特のジョークから始まった。先生は彼を指揮台の側に立たせ、改めて紹介した。
「俺の不出来な弟子だ。名前は坂本理。もう三十歳になったんだって」
呆れた言い方に、皆が少しだけ笑う。「まだ若いぞ!」と、年配の団員から声がかけられた。
「ついこの間まで、ドイツの楽器工房で自分の目標通りの楽器作りに邁進していたんだが、俺が不用意にかけた電話が元で、すっ飛んで帰って来やがった。その理由と言うのが…」
チラッと私の方を見る。何気に目が合い、慌てて逸らした。先生の視線が前を向く。柳さんや皆の顔を確かめて、不服そうに言い放った。
「自分の楽器が…出来上がったからだそうだ!」
ガタンッ!と柳さんが椅子から立ち上がる。驚いて、思わずそっちを見る。先生が一瞥する。それから皆にこう言った。
「拍手してやってくれ!俺の弟子は、今日から一人前だ!」
パンパン…と先生が拍手を送る。それに合わせて、皆が立ち上がる。拍手の輪が広がってく。柳さんが彼に抱きついて泣く。ハルもシンヤも彼の所へ走って行く。皆が彼を取り囲む。皆、涙に暮れている。
待っていたことが、目の前で起きている。叶うか叶わないか分からなかったことが、ホントの事として起こっている。
夢を見ているみたいで、側に近寄れない。近づくと逃げてしまいそうで、足が竦む。
声をかけたいのに…
手を握りたいのに…
何も…できない……。
「真由子!」
シンヤが呼んだ。
「真由!何してんだよ!」
ハルが叫んでる。
「真由ちゃん、こっちにおいで!」
柳さんが手招きする。
でも、ダメ…。
足が出ない…。声が…出せない…。