ワンダーランドと春の雪
石の階段を上り終えた私は息を荒くしてその場に座り込んだ。
「学生寮への階段長くない?! さっき降りるときはエレベーター使ったのに何で今更徒歩なの」
少しも疲れた様子の無いジュリーちゃんは
私の言葉を聞いて声を出して笑った。
「ミライって意外と体力無いのね」
ふん。インドア派を舐めるんじゃない。
自分でも分かってることだから否定はしない。
けどその前にジュリーちゃんが運動して
疲れる体なのかどうか聞きたい。
しかし顔を上げると、そんな気分はすぐに
どこかに行ってしまった。
階段と同じ石の地面がなだらかな坂道になっていて、そこに積み重なるようにして
カラフルな出窓が付いた石造りの建物が
入り組んで並んでいた。
路地を挟むようにして向かい合わせになった
建物の出窓からは細いロープのようなものが
向かいの窓に繋いであって、そこにタオルとか服が干してあるのが見える。
そして建物の隅や窓には必ず何か花のようなものが飾ってあったり花壇がある。
購買部と呼ばれる商店街が退廃的で幻想的な
スチームパンクのような風景だったのに対して私が今いるこの学生寮は、
とても生活感が溢れていて、いつかテレビで見たクロアチアのロヴィニっていう町によく似ている。
映画とかでよく主人公が敵から逃げるために
路地を走り抜けたりするシーンがあったりするけど、まさにそれ。
「《学園》って、いちいちセンスいいよね。
町並みが」
「そう? 私はもっと薄暗くて湿ってて、
怨念が渦巻いてそうな古いお城みたいな感じの寮がいいけどな~! 」
「マリーあんたよく笑顔でそういう怖いこと
言うけどそれわざと? わざとよね? 」
そんな会話をしながら三人で歩いていると、
前方から誰かが歩いてくるのが見えた。
制服をラフな感じで気崩していて、 マスクをした黒髪の男の子だった。
歩くスピードはかなりゆっくりで、
何だかとてもだるそうに歩いている。
手の甲より少し上に黒い鳥の羽のようなタトゥーを入れていて、耳にはピアスをあけている。
更にマスクもしてるからよく繁華街でたむろってるヤンキーにしか見えない。
その人に向かってマリーちゃんは手を振った。
「あっ誰かと思えばツバサ先輩じゃないですか~! こんにちは! 」
ツバサ先輩と呼ばれた彼は私たちの前まで
歩いてきて、ようやくこちらに視線を向ける。
マスクをしているので表情は分からないけど、とてもマイペースな人らしいということは
伝わってきた。
先輩って言われてるから上級生かな。
「……何だ、お前らか」
だるそうな声がマスク越しに聞こえてくる。
この人……ツバサ先輩も怪物なのかな。
見た目は人間とあんまり変わらないけど。
そんなことを考えながら見ていると、ツバサ先輩が私の方をちらりと見た。
そしてまたマリーちゃんたちに視線を戻し、
「こいつ新入り? 」
と、さっきより少し抑揚のある声で尋ねた。
「そうなんですよ~! ミライちゃんっていうん
ですよ! なんと人間の女の子ですよ~っ! 」
ツバサ先輩は、マリーちゃんが“人間”という言葉を言った瞬間、ほんの一瞬だったけど
すごく目を輝かせてこっちを見た気がした。
本当に一瞬だったけど。
「ミライちゃん、この人は高等部三年生の
ツバサ先輩! 人間をリスペクトしすぎて元の姿に戻れなくなった鴉天狗で、私たちが住む寮の寮長だよっ」
へえ……まずは何箇所か突っ込ませてほしい。
「……寮って、男女別じゃないの? あと人間
リスペクト光栄です」
私がそう言って軽く頭を下げると、ツバサ先輩も同じようにお辞儀した。
そのあとでマリーちゃんの頭をくしゃくしゃと雑に撫で始める。
「お前は余計なこと言うなよ面倒くせえな。
戻れなくなったんじゃなくて元のカラスみたいな見た目に戻るのがだるいだけだよ」
「うええやめてください~! 髪の毛が変になっちゃうじゃないですか! 」
「知らねえよ……あとお前、ミライ。
《学園》にはたまに性別不明な奴らがいるんだよ。そいつらのために、寮は校長の独断と偏見で決まるのさ……ってことをお前らで先に説明しとけよ面倒くせえな」
もはや私に言ってるのかマリーちゃんたちに言ってるのか分からないけど、とりあえずこの先輩がとてもクールな面倒くさがり屋さんだということはよく分かった。