届屋ぎんかの怪異譚
「好いたひとはいないと言ったけど、嘘です」
白檀は何も言わず、先を促す。
まるでその先の言葉を知っているかのように、ただ静かに微笑する。
「……あなたが好きでした。この十年、他に伴侶なんて見つけようとも思わないくらい、ずっとあなたが好きでした」
白檀は何も言わない。
微笑みを浮かべたまま。哀しそうに、幸せそうに。
ピシ、と乾いた音が響く。
とともに、白檀の右腕が付け根から崩れて地に落ちた。
堕ちた腕は一瞬にして塵となって空に舞う。
それを見送って、白檀は「もうそろそろね」と小さく笑った。
すべてを覚悟したような静かな笑みを浮かべたまま、玉響に目を向ける。
「達者で、玉響」
まるで、もう言葉はいらないというふうに。
白檀はそれだけ言って、玉響も、頷くだけだった。
ピシ、と一際大きな音がして――それと同時に猫目が駆け出した。
まるで引き留めるように、白檀の残った左手を取る。
白檀は一瞬、驚いたように目を瞠り、そして最後に、笑った。
一陣、強い風が吹いて。
白檀の体が、塵のように、灰のように、風にさらわれて消えていった。
静かな中庭に、ただ、猫目の押し殺した嗚咽だけがかすかに響いた。