埋火
夕刻のとき
総司はいつもの巡察のため屯所を出た。
今日は一人であった。
 土方は、後に起こる池田屋切り込みにあたって、その付近を偵察していた。
総司も土方と同じように偵察を命じられていたのだ。
 総司は三条大橋に差し掛かると、足を止めた。この三条大橋は、江戸日本橋から発する東海道の宿駅であった。
どこからともなく流れてきた青々とした葉が流れてくるのを、総司はしばらく橋の上から見つめていた。
蒼祢に言えずにいた。
自分が『新撰組の沖田総司』だということを。
もし、それを口にしたならば……
総司はふと考えた。
夕暮れ時のこの時間になると、なぜかいつも総司は思いにふけていた。
『私には剣がある。新撰組がある。近藤がいる、土方がいる。それだけでいい。それだけで自分は十分だ。』
そう自分に言いきかせた時、沖田はゆっくりと振り返った。
二、三人の足音が、自分を追ってきていた。
影は三つ。
『この場所では騒動になる。とりあえず、ここを離れて池田屋の方角へ向かおう。』
しかし、そこまで出る必要もなかった。
男たちは、刀の柄に手をかけた。
「新撰組の沖田か。」
一人の男がそう言うと、右足をあげ、刀を抜いた。しかしそのままの姿勢であおむけのまま飛んでいった。総司の菊一文字が跳ね上がり男の肩を割っていた。
「私が新撰組、沖田総司です。」
残りの他の男たちは、口をあけたまま立ち尽くしていた。
 沖田が刀をかまえると、男たちはひるんだ。
すると、その男たちの向こうの、人だかりの中に、かすかに女の姿が見えた。
沖田の目の中にはっきりとその女の姿が映った。
 男たちは声にならない声をあげると、北側の家並みの方へと一散に逃げた。
総司は追うこともせず、かまえていた刀をそっとしまった。
「沖田先生、大丈夫ですか。」
騒動を聞きつけたのか、二人の隊士たちがかけつけてきた。
「ええ…大丈夫です。」
総司は静かにその浪士に言うと、そのままずっと一点を見つめていた。
そんな総司の目は、どこか悲しそうであった。
しばらく総司は一点をみたまま、立ち尽くしていた。
人だかりは、いつの間にかなくなり、隊士たちもいなくなっていた。
 日が落ちる時であった。
沈んでいく太陽の中で、総司の頭はからっぽになっていた。
総司の見つめる、その視線の先には、蒼祢がいた。
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