埋火
新撰組・沖田総司
壬生郷八木屋敷の門に、「新撰組宿」の大札がかかげられたのは、文久三年三月十三日のことで四条大橋のまわりは既に桜が満開になっていた。
昨日、新撰組の隊士たちはみな、そんな桜の木の下で祭りだ、宴会だと騒いでいた。
しかし、近藤はうかない顔である。
京都守護職会津中将から声がかかったとはいっても、今は金が必要だ。
 京の町の者が隊士たちを見ては「壬生浪」「みぶろ」と呼んでいることを近藤は知っていた。
無理もない。
まだ旅装のままで、すりきれた袴であったり、つぎあてをあてている者もいた。その姿は見るも無残な姿で、とても京都守護職会津中将から声がかかった新撰組である、とは言えない。
そんな中、隊士たちとは反対に、芹沢鴨は黒の縮緬の羽織、食べるものから着るものまで何から何まで違った。
ぜいたくにも毎晩のように酒に明け暮れ、島原にも三日に一日は通っているという。
この芹沢派五人は、近藤派の連中とはまるで違っていた。
 近藤はその金の出所を知っていた。
「芹沢さんは大事なお人だ。」
土方はそう近藤に言ったが、土方はうなずき、
「いまのところは。」
と低い声を洩らした。
 その頃、芹沢は自室で新見錦たちと酒を汲みかわしていた。
近藤が、芹沢の部屋を訪れると、新見は杯をさしだした。
しかし近藤は「いや、結構」と言うと、用件だけを話した。
すると、芹沢は「分かった。」とだけ言い、近藤もまたすぐに芹沢の部屋を出た。
近藤は静かに紙障子を閉め、月を見上げた。月の光に照らされた屯所の中で、近藤の顔はどこか闇のような暗さを感じた。
 それからすぐ後のことである。
「すぐに隊士を集める。」
と土方は言った。
 その翌日から、総司、藤堂、原田、斉藤、井上、永倉を引き連れ、京大坂の道場を回らせ、希望を慕った。
その場で、沖田、斉藤、藤堂は竹刀をとり立ち合ったが、彼らは一度も負けたことはなかった。
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