フォンダンショコラなふたり
まぁ、いいか。
しばらく某夫人に話をさせておけば場が持つだろう。
マレーシア料理の前はベトナム料理、その前はインドネシア料理の習得に熱心だったそうだ。
僕は和食が好みだと知らないのだろう。
縁談相手の食の好みくらい調べておくべきだろうと腹の底で悪態をつきながら、明日の予定を思い出して頬が緩んだ。
明日は、副社長のお供で 『割烹 筧』 へ行くことになっている。
今回は同席することはないため、大御所たちの舌をうならせてきた 『筧』 の料理を味わうことはできないが、待っている間に若女将と話ができそうだ。
若女将の霧乃さんは着物が似合う和風美人で、所作も物腰も申し分ない。
久我の令嬢とは別の意味で結婚相手としては縁のない女性であるが、とても心ひかれる人だ。
彼女が割烹の娘でなかったら縁談を落ち込むのに、残念でならない。
真意のほどは確かではないが、霧乃さんの大叔母さんは某企業の会長の後妻になった人だとか。
妻とは別に、会長の想い人だったらしいが、このような業界にいるとそんなことが起こるのかもしれない。
「若女将も、どこかの御曹司の目に留まったりするのかもしれませんね」
世間話のように、若女将について堂本さんに話したことがある。
「憶測で話をするな」 と厳しく叱られ、冷たい目で睨まれた。
堂本さんには冗談も通じない。
話がわかるのは、副社長専属の運転手、佐倉さんだけだ。
あの人は穏やかでとても話しやすい。
佐倉さんなら、若女将や山田果梨さんの魅力をわかってくれそうだ。
長く退屈な見合いが終わり、気分転換のためにホテルの庭に出た。
庭はまだ寒々しい風景だったが、木々のつぼみに春の準備が見えた。
「何にもない庭ですね。中に戻りましょう」
「バラのアーチがありますね。
オールドローズのビクトリアだわ。春には花がきれいでしょうね」
「バラには害虫がつきます。虫だらけの庭なんて不潔だな」
「そうでしょうか」
「そうですよ。あなたには厳選された花々で飾った、整った部屋ですごしてほしい。
僕は、そのための努力を惜しまないつもりです」
隣りから、こんな会話が聞こえてきた。
どうも見合いのようだが、男の言葉には偏りがあり、女性が閉口している様子だった。
鼻をつまんで声色を変え、垣根の向こうに話しかけた。
「虫がいるから世界が成り立つんです。花ばかりでは面白みがない。
清潔な空間なんて、この世の中にはありませんよ。
いま吸っている空気だって、毎日食べている料理だって、安全だという保障はどこにもない。
それとも、あなたの家では専任の検査官が精密検査をやっているのかな」
女性からくすっと笑い声が聞こえ、男からは怒鳴り声が飛んできた。
「誰だ! 出てこい」
誰が出ていくものか。
顔を見られないよう、急ぎ木々の中に隠れた。
さっきの女性の声、可愛かったな。
ビクトリアの新種を知っているとは、バラに詳しいのだろう。
バラ好きの祖母と話が合うに違いない。
こんな場でなかったら会ってみたかった。
可愛い声の彼女と潔癖な男との縁談が壊れることを願いつつ、僕は冬枯れの庭から立ち去った。
僕とその女性は、その後奇跡的に再会することになる。
そこが思い出の庭に変わる日まで、しばらく時間がかかるのだが……