ボーダー・ライン

その過程で、僕達はプライベートを忘却し、会社の「部品」となって行く。

「えっ、まさか! たかがそんなことで」と笑われそうだが、皆で同じ命令に合わせ、同じことをするというのはつまりそういうことなんだ。



実例をあげると、僕だって、ラジオ体操が始まるまで、辛くて辛くてしかたがなかった。
出来るだけ考えないようにはしていても、頭の半分くらいには今でもサトミが居座っていて、僕に微笑みかける。

残酷な言葉で、地獄へ突き落とす。

サトミは僕の頭の中で、何度も何度も、同じ言葉を繰り返していた。
恐くって、僕の口は異常なくらい渇いて、だからあの時麦茶を含んだんだ。


……だけどもう大丈夫。


皆で行うラジオ体操には不思議な効果がある。
いつもだったら憎らしく、疎ましくさえ思えるその魔法だが、今日も見事に僕の頭の中身を書き換えてくれた。

「今日だけはありがとな、ラジオ体操」


こうして最後の深呼吸が終わっても、僕たちは整列を乱さないままそこに立っていた。
僕だけではない、同僚の皆がプライベートから仕事の顔へ、表情を切り替えていた。
皆、同じ人間だ。
生きていれば、仕事以外にもいろいろとあるだろう。
こうやって、仕事に感謝する日もあるだろう。


しばらくしぃんと私語をつつしみ待っていると、時計が定時を指し、スピーカーから2回目のチャイムが鳴った。
すると間もなく入口から僕たちの上司である長瀬課長と有野係長が神妙な顔で部下達の前に現す。
いつもの朝礼の時間である。

管理職が課員に向けて連絡をする一般的な始業の儀式だが……しかし、今日は少々勝手が違うようだ。

長瀬課長が悲しそうに、ぼってりとした唇を開いた。


< 20 / 34 >

この作品をシェア

pagetop