蜂蜜漬け紳士の食べ方
『…ああ、それで、君の用件は何だったの?』
話の矛先は、ここでようやくアキへと向けられた。
彼女は、自分のバッグから少しだけはみ出している情報誌をふいに見る。
今月号のタウン誌は『今晩食べたい!開店ほやほやの飲食店特集!』と銘打って掲載されているものだった。
「………いえ、何でもありません。伊達さんと、お話したくて」
受話器越しに、柔らかな彼の笑い声が耳に触れる。
『君が無理をしない程度でいいなら、いつでもかけておいで』
「ありがとうございます」
『今度から会う時は外で会おう。都合のいい日に連絡くれるかい』
「はい」
『じゃあまた』
「伊達さんもお仕事頑張って下さい」
スマートフォンの画面に映し出された明かりが、彼女の指ですぐに消え去った。
わずかに口から零れた呼吸が灰色に似た溜め息だったのは、彼女本人ですら気付いていない。
「………」
アキは早々にスマートフォンを自分のバッグへ突っ込んだ。
ついでに、タウン誌も一緒にその奥へ。
横断歩道を渡ろうとしていたローヒールのつま先が、簡単に180度回ってみせた。
彼女の行き先は、この電話一つであっけなく反故になってしまったからだ。
……仕事なんだ。
私ももちろん、彼だって。
今更そのことに対して愚痴を言うつもりもないし、彼を困らせる気もない。
そう、仕事なんだ。
「仕方ないじゃない、仕事だもん……」
───会いたかった。
この6文字の代わりに口をついて出たのは、何とも可愛げのないウソだった。