蜂蜜漬け紳士の食べ方
結論、一度消えかけた不安はまた姿を膨らませてアキの心の真ん中へ居座っただけだった。
伊達を信じる気持ちはもちろんある。
彼のあのドライな性格ならば、その気がないだろうことは彼女にも分かる。
だがしかし、問題はそこではない。
相手の女性の方だ。
伊達にそういう気持ちは無くても、もし相手が彼を好きになってしまったら?
密室で長時間の仕事だ、少なからず伊達へモーションをかけてくるに違いない。
それを妄想するだけでアキは無性に胸をかきむしりたい衝動にかられる。
自分と違う、色っぽくて大人でセクシーな女の人が伊達へモーションを……。
そう考えたら、いてもたってもいられなくなってしまった。
『マンションへはしばらく来ないで』と言われたばかりなのに、アキの足は伊達のマンションへ向いていた。
モデルを雇うという話から一週間は経っていたから、もう既にモデルの女性も来ているのだろう。
しかし今は夜だ。
仕事はもう終わっているはずで、そうそう迷惑にならないのではないかという自負が彼女にはあった。
自分の感情を公に見せるという行動自体、今までの彼女には珍しいことだった。
もしかしたら、昼間の綾子の騒動にあてられたのかもしれない。
「……どうしたんだい、急に」
息荒れた彼女の突然の訪問に、伊達はもちろん驚いた。
目を見開き、右手にはデッサンに使う木炭を握ったままに。
当の伊達を目の前にしたことで、アキの愚かな妄想は一気にヒヤリと冷めた。
彼女は荒れた呼吸を整えつつ、苦く笑う。
「お仕事…あの、頑張ってるかと思いまして、差し入れを…」
訪問の言い訳に、慌てて駅前のコンビニで買った飲み物の類を伊達に突き出す。
渡された伊達は何も不思議がることはなく、袋の中のソーダやコーラの類に目をやった。
「そう。悪いね、ありがとう」
アキから手渡されたビニール袋を受け取りつつ、けれど彼はいつものように穏やかに笑みを含ませることはせず、どこか意味ありげに視線を背後の室内へやった。
アキがその視線の先を追うまでもない。
玄関には、美しいピンクの色合いのハイヒールがきちんと揃えられていたのだ。
伊達は再び目の前の彼女へ視線を戻す。
「悪いけれど、今日は部屋へ上げられないんだ。モデル役が来ていてね」
「…夜も、お仕事なんですか」
「ああ…まあ、筆がのったりするとね」
彼の声は、いつもと同じ調子だった。
少しつっけんどんで、一本調子の……。
けれどアキの脳裏に、つい先ほどまで自分の前で泣き伏していた綾子の姿がありありと浮かぶ。
…結局男と女なんですから、なんて。
「どうかしたかい?」
向かい合う落ち着かない視線と、何か挟むようなアキの口の動きに、伊達が目ざとく気づく。
こういう時こそ、彼の観察眼の鋭さが仇になるようだ。